佐魯那奇他(読み)さろなかた

朝日日本歴史人物事典 「佐魯那奇他」の解説

佐魯那奇他

没年顕宗3(487)
生年:生年不詳
5世紀末ごろ安羅(伽耶の一国,韓国慶尚南道咸安)で活躍した倭人。顕宗軍3(487)年,紀生磐が任那(安羅)を拠点三韓の王になろうとしたとき,生磐と共謀した。生磐と那奇他らは百済の適莫爾解を殺し,帯山城(全羅北道泰仁)を築いた。しかし百済王が派遣した軍に攻められ,生磐は城を放棄し,那奇他は殺害された。『日本書紀』に引用される『百済本記』が加不至費直(河内直),「韓腹」の佐魯麻都,阿賢移那斯らの祖先と伝える那干陀甲背,那奇他甲背はこの佐魯那奇他と同一人であり,年代的に3人の祖父であると考えられる。<参考文献>田中俊明『大伽耶連盟の興亡と「任那」』

(平野卓治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐魯那奇他」の解説

佐魯那奇他 さるなかた

「日本書紀」にみえる武人
顕宗(けんぞう)天皇3年任那(みまな)(朝鮮)を拠点に三韓の王になろうとした紀大磐(きの-おいわ)に協力。百済(くだら)(朝鮮)の適莫爾解(ちやくまくにげ)を殺し,帯山城をきずく。百済王の軍に反撃され,殺されたという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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