古代朝鮮半島の南部に割拠した韓族の総称。転じて朝鮮民族一般をさすばあいにも用いる。古代朝鮮の北西部にはいわゆる衛氏朝鮮と称する国家が存在したが,前2世紀の末ころ漢の武帝によって征服され郡県支配の中に編入された。これに反し半島南部の方面にはその統制も十分に行きわたらず,この地域の韓族は各地に分裂割拠し,その首長(長帥)たちは臣智とか邑借と自称し,また楽浪,帯方の太守を介して帰義侯とか中郎将などという中国式の官名をうけ一種の間接支配下にあったようである。《三国志》魏志の東夷伝はこれら韓族について,最も古くかつ詳細な記録であるが,それによると彼らは3種に分かれ,東方に馬韓50余国,西方に辰韓12国,辰韓に雑居して弁辰(弁韓ないし弁辰韓ともいう)12国があったというが,これらの国の実体も国数もきわめてあいまいである。《三国志》魏志東夷伝の記述ではこれら3種を統合する最高権力者の君王ともいうべきものは存在せず,各部族は雑居しており,とくに弁辰(弁韓)と辰韓の区別は不明である。また3種と表記しているが,この3種も言語とか習俗とか明確な基準によった分類ではない。なお,《後漢書》では三韓の中で馬韓が最大であり,その王,辰王は三韓全体の統治者のように記されているが,《三国志》では弁・辰韓合わせて24国,その12国のみが辰王に属した,となっている。しかし,その辰王なる存在についても諸文献の記載はすこぶる不明確でその研究は今後の課題である。
執筆者:村山 正雄
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古代朝鮮の半島南部に住んだ韓族の総称。3世紀中ごろには、馬韓(ばかん)(50余国)、辰(しん)韓(12国)、弁辰(べんしん)(12国、弁韓ともいう)に分かれ、それぞれが小国の連合体をなしていた。4世紀に入り、朝鮮北部の楽浪(らくろう)、帯方(たいほう)郡の滅亡を契機に、三韓諸国は統合に向かい、馬韓の地は伯済(はくさい)国を中核に百済(くだら)を建て、辰韓は斯盧(しろ)国によって統合され新羅(しらぎ)となった。しかし弁辰の地は加羅(から)諸国とよばれ、小国の分立状態が続いた。なお「三韓」は後世、朝鮮の代名詞としても用いられた。
[李 成 市]
古代朝鮮半島の南半部にあった馬韓(ばかん),辰韓(しんかん),弁韓(べんかん)(弁辰)に住む韓族の総称。これら韓族は農耕を主とする生活を営み,統一なく,楽浪郡,帯方郡の間接的支配を受けていた。統一への動きが活発化するのは4世紀以降である。
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古代,朝鮮半島南部の3種の韓族の総称。「魏志」韓伝によれば,韓族は馬韓(ばかん)50余国,辰韓(しんかん)12国,弁韓(べんかん)12国にわかれていた。4世紀に入って,馬韓では伯済(はくさい)国を中心に百済(くだら)が,辰韓では斯盧(しろ)国を主体に新羅(しらぎ)が成立したが,弁韓は小国分立のままであった。なお「日本書紀」は高句麗・百済・新羅3国を三韓とするが,これは朝鮮諸国に対する観念的な優位を示すための造語で,三韓に固有の意味はない。
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