生没年不詳。5世紀末の武将。生磐とも書く。雄略(ゆうりゃく)天皇9年に新羅(しらぎ)に遠征中であった父の大将軍紀小弓(おゆみ)が病死したのでただちに新羅に赴いたが、父の同僚であった遠征将軍の小鹿火(おかひ)の指揮権を奪ったために恨みを買い、小鹿火の讒言(ざんげん)によって自分を暗殺しようとした遠征将軍の蘇我韓子(そがのからこ)を逆に射殺した。このため日本軍の統一は乱れ、朝鮮支配はこのころから困難となった。のち顕宗(けんそう)天皇3年に至って任那(みまな)を拠点に高句麗(こうくり)と結び、三韓の王を目ざして官府を開いて、自ら「神聖」と号した。しかし、大磐に日本への道を遮断されて怒った百済(くだら)王に自分の築いた帯山城(しとろむらさし)を攻められ、一時優勢であったが兵力尽きて敗れ、任那を去って帰国した。
[平田耿二]
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(佐藤長門)
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