生没年不詳。5世紀末の武将。生磐とも書く。雄略(ゆうりゃく)天皇9年に新羅(しらぎ)に遠征中であった父の大将軍紀小弓(おゆみ)が病死したのでただちに新羅に赴いたが、父の同僚であった遠征将軍の小鹿火(おかひ)の指揮権を奪ったために恨みを買い、小鹿火の讒言(ざんげん)によって自分を暗殺しようとした遠征将軍の蘇我韓子(そがのからこ)を逆に射殺した。このため日本軍の統一は乱れ、朝鮮支配はこのころから困難となった。のち顕宗(けんそう)天皇3年に至って任那(みまな)を拠点に高句麗(こうくり)と結び、三韓の王を目ざして官府を開いて、自ら「神聖」と号した。しかし、大磐に日本への道を遮断されて怒った百済(くだら)王に自分の築いた帯山城(しとろむらさし)を攻められ、一時優勢であったが兵力尽きて敗れ、任那を去って帰国した。
[平田耿二]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《モスクワに遠征したナポレオンが、冬の寒さと雪が原因で敗れたところから》冬の厳しい寒さをいう語。また、寒くて厳しい冬のこと。「冬将軍の訪れ」《季 冬》...
1/16 デジタル大辞泉プラスを更新
1/16 デジタル大辞泉を更新
12/10 小学館の図鑑NEO[新版]魚を追加
10/17 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
8/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新