日本歴史地名大系 「保内野々郷」の解説 保内野々郷ほないののごう 滋賀県:八日市市保内野々郷現八日市市のほぼ中央を占める近世郷。中世保内下四郷を構成した、御代参(ごだいさん)街道を中心とする蛇溝(へびみぞ)・今在家(いまざいけ)・金屋(かなや)・中野(なかの)・小今在家(こいまざいけ)・東破塚(ひがしこぼちづか)・今堀(いまぼり)の七ヵ村は、近世にも野々郷・下(しも)郷・畑方七ヵ村・下四郷などとよばれるまとまりを維持していた。七ヵ村は郷域の東部に広がる沖(おき)野や、南部布引(ぬのびき)山内字くずめ野(の)の草刈場の共同利用により結び付いていた。沖野の利用については天正九年(一五八一)に柴原(しばはら)郷三ヵ村と(同年四月二二日「布施公保裁許下知状案」今堀日吉神社文書)、延享二年(一七四五)には神崎郡野(の)村と領有をめぐる争いが生じ、いずれも領有権を確保している(「村中連判一札」灰谷文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報