金屋(読み)キンオク

デジタル大辞泉 「金屋」の意味・読み・例文・類語

きん‐おく〔‐ヲク〕【金屋】

黄金で飾った家。りっぱな家屋金殿。「金屋ちょうを得る」

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精選版 日本国語大辞典 「金屋」の意味・読み・例文・類語

きん‐おく‥ヲク【金屋】

  1. 〘 名詞 〙 黄金で飾った家。ぜいたくをきわめた立派な家。金殿。
    1. [初出の実例]「厳粧金屋の中に青蛾正に画き、罷宴瓊筵の上に紅燭空しく余れり〈謝観〉」(出典:和漢朗詠集(1018頃)下・暁)
    2. 「百厳粧(ひゃくごんよそほひ)金屋(キンヲク)の内にては、理世撫民の政を聞召し」(出典:金刀比羅本保元(1220頃か)下)
    3. [その他の文献]〔漢武故事〕

かな‐や【金屋】

  1. 〘 名詞 〙 鉱石を溶かして、その含有物をそれぞれ吹き分ける仕事をするための建物製鉄所精錬所
    1. [初出の実例]「清盛は火のやまうを請とって、せうねつ地獄のかなやのほむらいかで是にはまさるべき」(出典:幸若・未来記(室町末‐近世初))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金屋」の意味・わかりやすい解説

金屋
かなや

和歌山県中北部、有田郡(ありだぐん)にあった旧町名(金屋町(ちょう))。現在は有田川町の中部を占める地域。旧金屋町は、1955年(昭和30)鳥屋城(とやじょう)、生石(おいし)、石垣(いしがき)、五西月(さしき)の4村が合併、町制を施行して成立。2006年(平成18)吉備(きび)、清水(しみず)の2町と合併、有田川町となった。旧町名は旧鳥屋城村の金屋に由来する。鋳物師の村金屋は有田川中流谷口の渡河点で村の中心となった。付近には市場(いちば)という地名もある。国道424号、480号が通じる。生石ヶ峰(おいしがみね)の南麓(なんろく)登山口でもあり、有田鉄道が早く通じた(2002年廃止)。中世山城(やまじろ)の鳥屋城跡(県史跡)、この地に生まれた明恵上人(みょうえしょうにん)ゆかりの歓喜(かんぎ)寺などの遺跡、江戸時代中期の農家鈴木家住宅(国指定重要文化財)などがある。ミカン栽培を主とするが、野菜栽培との複合経営やブドウなどの観光農園も増えている。有田川で行われる鵜飼(うかい)は県の無形民俗文化財となっている。

[小池洋一]

『『金屋町誌』全2巻(1972、1973・金屋町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金屋」の意味・わかりやすい解説

金屋
かなや

和歌山県のほぼ中央,有田川町西部の旧町域。有田川中流域に広がる。 1955年鳥屋城村,石垣村,五西月村が合体して町制。 1959年岩倉村の一部を編入。 2006年吉備町,清水町と合体して有田川町となる。中心集落の金屋は有田川の谷口集落で,市場町として発達。有田みかん,巨峰ブドウ栽培および製材業が行なわれる。明恵上人の生地で,国の史跡の明恵紀州遺跡卒都婆,国の重要文化財の本尊をもつ歓喜寺などがある。北東部は生石高原県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「金屋」の意味・わかりやすい解説

金屋[町]【かなや】

和歌山県中部,有田(ありだ)郡の旧町。有田川中流域の山地を占め,ミカン栽培が盛ん。中心集落は谷口の市場町として発達,森林地帯をひかえ製材業も行われる。2006年1月,有田郡吉備町,清水町と合併し町制,有田郡有田川町となる。119.44km2。9750人(2003)。

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普及版 字通 「金屋」の読み・字形・画数・意味

【金屋】きんおく(をく)

立派な家。御殿。唐・白居易〔長恨歌〕詩 金屋粧(よそほ)ひつて、嬌(けう)として夜に侍し 玉樓宴罷(や)んで、うて春に和す

字通「金」の項目を見る

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改訂新版 世界大百科事典 「金屋」の意味・わかりやすい解説

金屋 (かなや)

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世界大百科事典(旧版)内の金屋の言及

【鋳物師】より

…鎌倉末期,左方に代わって右方の支配下に入った鎮西鋳物師は,南北朝期には大宰府の補任する宰府惣官に統轄され,室町期にかけて,長門国大工,備後国大工のごとく,守護によって補任された1国ないし数国の大工,惣官も現れる。鎌倉後期には確認される各地の鉄屋=金屋(かなや)は,鋳物師の集住する作業場であり,諸国鋳物師はそこを根拠に,1国ないし数国を商圏とし,守護の保証の下に生産,交易に従事するようになった。1413年(応永20)の越中国鋳物師は棟梁20宇,寄人を合わせて250宇であったが,これはかなり大規模な集団であろう。…

【金屋子神】より

…単に金屋神とも,また金鋳神(かないがみ)ともいう。たたら師,鉄穴師(かんなじ),鍛冶,鋳物師(いもじ)などの間で祭られている火の神・製鉄の神。…

【釜師】より

…古くは釜作専業ではなかったが,室町時代以降,茶の湯の流行に伴い,京都三条釜座がおこると,釜作を専業とする鋳物師が輩出し,釜屋と称し,茶人の好みに応じた釜を鋳造するようになった。足利将軍家においては御釜師の名称も用いられたといわれるが,釜の発祥地とされる筑前芦屋や下野(しもつけ)天命では金屋を称しており,いわゆる鍋・釜や梵鐘,釣灯籠なども製作していたが,金屋大工が一般に釜師と称されるようになったのは,京釜が隆盛した安土桃山時代以後のことと考えられる。1700年(元禄13)に西村道冶が著した《釜師之由緒》には〈一,紹鷗時代京都天下一西村道仁,名越善正也。…

【柳井[市]】より

…南東前面に周防大島(屋代島)が控え,古くから海上交通の要地であった。中世の楊井津(やないづ)は対明貿易船の基地でもあり,津の中心であった古市,金屋(かなや)には町場があり,鋳物師(いもじ)が集住していた。近世には吉川氏の岩国領で,柳井湾岸の干拓地では製塩が行われ,柳井木綿の産も盛んであった。…

【金】より

…極印を打ち品位を保証した判金は,すでに15世紀に貿易金として現れ,やがて戦国大名中に鋳造するものもあったが,京都,堺,奈良などに判金,極印銀を鋳造し,両替,秤量,吹替などを営む業者が現れた。16世紀末には地方にも同種の業者が出て,彼らを金屋(かねや),銀屋,天秤屋などと呼び,領主から特権を受けたものが銀座・天秤座である。判金は品位を保証した秤量貨幣で,このほか竿金,延金,玉金など形状によって呼ばれた製錬したままの金も取引された。…

※「金屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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