日本歴史地名大系 「保土ヶ谷町」の解説 保土ヶ谷町ほどがやちよう 神奈川県:横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町[現在地名]保土ヶ谷区保土ヶ谷町一―三丁目・境木本(さかいぎほん)町・境木(さかいぎ)町・権太坂(ごんたざか)一―三丁目・狩場(かりば)町・西久保(にしくぼ)町・瀬戸(せと)ヶ谷(や)町・霞台(かすみだい)・初音(はつね)ヶ丘(おか)東は岩間(いわま)町、西は相模国鎌倉郡平戸(ひらど)村・品濃(しなの)村(現戸塚区)、南は久良岐(くらき)郡引越(ひつこし)村・永田(ながた)村(現南区)、北は神戸(ごうど)町・都筑(つづき)郡今井(いまい)村に接する。保土ヶ谷宿組四ヵ町の一つで、宿場の西端に位置する。東海道は品濃村から入って北東に進み、相模と武蔵の国境にある地蔵堂・二番(にばん)坂・権太坂と下り、元(もと)町の辺りで東に折れて当町に続く。今井村に源を発する今井川が東流する。小田原衆所領役帳に三郎殿「九十一貫卅八文 小机保土ケ谷」とある。寛永一〇年(一六三三)三月の継飛脚給米下付通達書(県史九)には「程ケ谷」と記す。近世を通じて幕府直轄領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by