品濃村(読み)しなのむら

日本歴史地名大系 「品濃村」の解説

品濃村
しなのむら

[現在地名]戸塚区品濃町

東は平戸ひらど村、南は前山田まえやまだ村、西は後山田うしろやまだ村、北は武蔵国橘樹たちばな保土ほど宿・同国都筑つづき今井いまい(現保土ヶ谷区)、同郡二又川ふたまたがわ(現旭区)に接する。東海道が保土ヶ谷宿から前山田村に通じる。途中に一里塚があり、北から焼餅やきもち坂・谷宿やじゆく坂・品濃坂と続く。享保三年(一七一八)一二月の保土ヶ谷宿明細書上帳(県史九)によると、保土ヶ谷宿との境に武蔵・相模両国境の示杭があった。

建武元年(一三三四)八月二九日の足利直義寄進状(県史三)に「山内庄秋庭郷信濃村」が、当時鎌倉建長寺の塔頭であった正続しようぞく(建武二年円覚寺に移る)に寄進され、同三年五月九日の斯波家長書下(同書)で甲乙人らの濫妨狼藉を禁じている。同五年三月一七日の足利直義書下(同書)によると、当時「秋庭郷内志奈野村」には足利義詮軍勢が置かれたため僧食にも困っているので、預人らの違乱を停止することを三浦因幡六郎左衛門尉に命じている。同年のものとされる正続院雑掌申状事書案(同書)によると、当村が正続院領となったのは、秋庭あきば郷を知行していた上杉重能に正続院の慧広寄付を申入れて実現したとあり、一方、鎌倉極楽寺にあった聖福しようふく新熊野いまくまの社は、新田義貞が鎌倉攻めのとき聖福寺に陣を取っていたときの約束によって当村を寄進され、足利尊氏からも施行を得ていると主張している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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