保延寺村(読み)ほうえんじむら

日本歴史地名大系 「保延寺村」の解説

保延寺村
ほうえんじむら

[現在地名]高月町保延寺

尾山おやま村の南、高時たかとき川に接する右岸平地に立地。大海道おかいどを中心に古墳時代・奈良時代の建物一三一棟が検出された大海道遺跡がある。坪地名のつぼが残り、近年まで条里遺構がみられた。中世富永とみなが庄に含まれ、天文九年(一五四〇)九月保延寺次郎兵衛尉清秀が井口いのくち山王社に雨森あめのもり郷内の畠一畝から供米を寄進している(同月二七日「保延寺清秀供米寄進状」井口日吉神社文書)。天正一三年(一五八五)閏八月の山内一豊知行目録(山内文書)に「三百弐拾石 保延寺」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む