保延寺村
ほうえんじむら
[現在地名]高月町保延寺
尾山村の南、高時川に接する右岸平地に立地。大海道を中心に古墳時代・奈良時代の建物一三一棟が検出された大海道遺跡がある。坪地名の二ノ坪が残り、近年まで条里遺構がみられた。中世は富永庄に含まれ、天文九年(一五四〇)九月保延寺次郎兵衛尉清秀が井口山王社に雨森郷内の畠一畝から供米を寄進している(同月二七日「保延寺清秀供米寄進状」井口日吉神社文書)。天正一三年(一五八五)閏八月の山内一豊知行目録(山内文書)に「三百弐拾石 保延寺」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 