信勝尼(読み)しんしょうに

朝日日本歴史人物事典 「信勝尼」の解説

信勝尼

生年生没年不詳
8世紀の坂田寺(奈良県明日香村)の尼。正倉院文書では,天平9(737)年10月と19年8月の経典貸借文書に名がみえる。14年頃の「優婆夷貢進解」(修行者たちが国家の得度を求めるときに申請する文書)では,官度候補者の師として「師主坂田寺尼信勝」と署名している。また正倉院に伝わる大仏開眼会の献物牌にも善光尼と共に名がみえる。『東大寺要録』巻7によれば,東大寺大仏の左右2体の脇侍のうち,東の観音菩薩像は天平勝宝1(749)年4月8日に彼女が造立したものだという(西の虚空蔵菩薩像は善光尼の造立)。同4年8月までには死去していたらしく,このとき,善光尼師の宣によって故信勝尼師のため法華経写経が行われた。古代を代表する官尼のひとり。

(吉田一彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「信勝尼」の解説

信勝尼 しんしょうに

?-? 奈良時代尼僧
大和(奈良県)坂田寺の住持。天平(てんぴょう)9年(737)に朝廷に経典を進納した記事があり,また東大寺大仏殿には,善光尼とともに寄進したという左右2体の菩薩(ぼさつ)像がある。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android