コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

信夫恕軒

3件 の用語解説(信夫恕軒の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

信夫恕軒

儒学者。名は粲、字文則、別号に含翠子等。因幡鳥取生、東京住。大槻磐渓に学ぶ。詩文・書を能くした。明治43年(1910)歿、76才。

出典|(株)思文閣
美術人名辞典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

信夫恕軒 しのぶ-じょけん

1835-1910 幕末-明治時代の漢学者。
天保(てんぽう)6年5月5日生まれ。因幡(いなば)鳥取藩士。海保漁村(かいほ-ぎょそん),芳野金陵(よしの-きんりょう),大槻磐渓(おおつき-ばんけい)にまなび,維新後,東京本所に奇文欣賞塾をひらく。のち東京大学講師などをつとめた。雄弁で,詩文にすぐれた。明治43年12月11日死去。76歳。名は粲。字(あざな)は文則。別号に天倪。著作に「漢訳文則」「恕軒文鈔」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

信夫恕軒

没年:明治43.12.11(1910)
生年:天保6.5.5(1835.5.31)
幕末明治期の漢学者。名は粲,字は文則,号は恕軒,天倪。父正淳は鳥取藩の藩医。幼くして父に死別し貧窮に苦しんだが,海保漁村,芳野金陵,大槻磐渓について漢文,経史を学んだ。明治の初め,東京本所に奇文欣賞塾を開いて子弟に教授。明治3(1870)年,内国勧業博覧会事務局に出仕。以後,東京師範学校,東京大学,攻玉社,東京専門学校(早大)などに出講した。大沼枕山,依田学海,菊池三渓らと交流があり,俚諺諧謔を駆使した才気溢れる漢文の書き手として,また熱心な赤穂義士の顕彰者として知られた。著書に『恕軒文鈔』『恕軒詩鈔』『赤穂誠忠録』などがある。<参考文献>『明治漢詩文集』(明治文学全集62巻)

(揖斐高)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone