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芳野金陵 よしの きんりょう

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美術人名辞典の解説

芳野金陵

儒者。下総生。名は世育、字は叔果、金陵は号、別号に匏宇。南山の子。亀田綾瀬に学ぶ。本田侯に仕える。明治11年(1878)歿、77才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

芳野金陵 よしの-きんりょう

1803*-1878 江戸後期-明治時代の儒者。
享和2年12月20日生まれ。芳野南山の次男。江戸にでて亀田綾瀬(りょうらい)にまなぶ。弘化(こうか)4年駿河(するが)(静岡県)田中藩の儒官となり,藩財政の改革,文教刷新につくす。文久2年昌平黌(しょうへいこう)儒官。明治11年8月5日死去。77歳。下総(しもうさ)葛飾郡松ケ崎村(千葉県)出身。名は成育。字(あざな)は叔果。通称は愿三郎。著作に「金陵詩鈔」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

芳野金陵

没年:明治11.8.5(1878)
生年:享和2.12.20(1803.1.13)
幕末維新期の儒学者。下総(千葉県)の人。名は成育,字は叔果,通称は愿三郎,金陵と号す。儒医芳野南山の子。初め父に学び,22歳のとき江戸に出て亀田綾瀬 に師事した。その後家塾を開くが,しばしば火災に遭うなどの不運に見舞われて極貧生活を送る。弘化4(1847)年駿河(静岡県)田中藩の儒官となり,文教はもちろん,財政再建などに尽力した。また黒船来航などで揺れる国情を憂い,ひそかに同志と画策するところがあったという。文久2(1862)年昌平黌の儒官となり,維新後も大学教授として出仕,教育や書物の編集に力を注いだ。<著作>『金陵遺稿』

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

芳野金陵
よしのきんりょう

[生]享和2(1802).12.20. 下総
[没]1878.8.5. 東京
幕末~維新期の儒学者。名は世育。字は叔果。駿河田中藩に扶持を受け,同藩の財政改革に従事。藩校文武校を興し,文久2 (1862) 年昌平黌に招かれ,維新後,二等教授,次いで文部中博士。主著『金陵遺稿』 (10巻) 。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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