芳野金陵(読み)よしの・きんりょう

朝日日本歴史人物事典 「芳野金陵」の解説

芳野金陵

没年:明治11.8.5(1878)
生年享和2.12.20(1803.1.13)
幕末維新期の儒学者。下総(千葉県)の人。名は成育,字は叔果,通称は愿三郎,金陵と号す。儒医芳野南山の子。初め父に学び,22歳のとき江戸に出て亀田綾瀬 に師事した。その後家塾を開くが,しばしば火災に遭うなどの不運に見舞われて極貧生活を送る。弘化4(1847)年駿河(静岡県)田中藩儒官となり,文教はもちろん,財政再建などに尽力した。また黒船来航などで揺れる国情憂い,ひそかに同志と画策するところがあったという。文久2(1862)年昌平黌の儒官となり,維新後も大学教授として出仕,教育や書物の編集に力を注いだ。<著作>『金陵遺稿』

(高橋昌彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芳野金陵」の解説

芳野金陵 よしの-きんりょう

1803*-1878 江戸後期-明治時代儒者
享和2年12月20日生まれ。芳野南山の次男。江戸にでて亀田綾瀬(りょうらい)にまなぶ。弘化(こうか)4年駿河(するが)(静岡県)田中藩の儒官となり,藩財政の改革,文教刷新につくす。文久2年昌平黌(しょうへいこう)儒官。明治11年8月5日死去。77歳。下総(しもうさ)葛飾郡松ケ崎村(千葉県)出身。名は成育。字(あざな)は叔果。通称は愿三郎。著作に「金陵詩鈔」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芳野金陵」の意味・わかりやすい解説

芳野金陵
よしのきんりょう

[生]享和2(1802).12.20. 下総
[没]1878.8.5. 東京
幕末~維新期の儒学者。名は世育。字は叔果。駿河田中藩に扶持を受け,同藩の財政改革従事。藩校文武校を興し,文久2 (1862) 年昌平黌に招かれ,維新後,二等教授,次いで文部中博士。主著『金陵遺稿』 (10巻) 。

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367日誕生日大事典 「芳野金陵」の解説

芳野金陵 (よしのきんりょう)

生年月日:1802年12月20日
江戸時代末期;明治時代の駿河田中藩儒
1878年没

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