朝日日本歴史人物事典 「芳野金陵」の解説
芳野金陵
生年:享和2.12.20(1803.1.13)
幕末維新期の儒学者。下総(千葉県)の人。名は成育,字は叔果,通称は愿三郎,金陵と号す。儒医芳野南山の子。初め父に学び,22歳のとき江戸に出て亀田綾瀬 に師事した。その後家塾を開くが,しばしば火災に遭うなどの不運に見舞われて極貧生活を送る。弘化4(1847)年駿河(静岡県)田中藩の儒官となり,文教はもちろん,財政再建などに尽力した。また黒船来航などで揺れる国情を憂い,ひそかに同志と画策するところがあったという。文久2(1862)年昌平黌の儒官となり,維新後も大学教授として出仕,教育や書物の編集に力を注いだ。<著作>『金陵遺稿』
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報