信玄の棒道
しんげんのぼうみち
武田信玄が信濃攻略のために作った軍事上の道路で、諏訪方面に上・中・下の三筋と南佐久郡に一筋ある。いずれも八ヶ岳の裾野を南から北へほぼまっすぐに等高線沿いに通ったのでこの名がある。諏訪大社上社神長官の「古日記書抜」に、「武田信玄棒道通之節人馬差出し案内木茨道作り百姓共用立候渋湯江湯治有り夫より大門峠江掛り通行川中嶋合戦の時なるへし」とある。
諏訪方面の上ノ棒道は山梨県北巨摩郡須玉町若神子から長坂町小荒間を経て、甲六川を渡って諏訪へ入り、標高一一〇〇メートル前後の等高線沿いを富士見町乙事東方から鳴岩川と柳川が合流する辺りを渡り、上槻木上―笹原―蓼科プール平―赤沼平に出て大門峠に通ずる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の信玄の棒道の言及
【八ヶ岳】より
…戦国時代,武田信玄が甲斐から信濃への進軍のために切り開いたといわれる道が,東西のすそ野にある。いわゆる〈信玄の棒道〉である。近世に入ると西側のすそ野にも多くの新田村が成立した。…
※「信玄の棒道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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