長野県中央部、諏訪地方の中心をなす都市。1941年(昭和16)上諏訪町と豊田、四賀(しが)の2村が合併して市制施行。1955年(昭和30)中洲(なかす)、湖南(こなみ)の2村を編入。市域は北東部の霧ヶ峰の山麓(さんろく)から諏訪湖の東岸と南岸を占める。市街地は湖岸東部にあり、最近住宅地や中小工場は湖の南岸沖積地の水田地帯へ拡散している。JR中央本線、国道20号(甲州街道)が市域を南北に縦貫し、中央自動車道は市域南部の山麓斜面を走り、諏訪インターチェンジがある。中心地区の上諏訪は近世は高島藩(諏訪藩)の城下町であり、また甲州街道の上諏訪宿として、また温泉町として繁栄してきた。高島城は豊臣(とよとみ)秀吉の武将日根野高吉(ひねのたかよし)により湖中に築城され、浮城(うきじろ)とよばれた。石垣と堀だけを残していたが、1970年天守閣が復興された。ここからの市街の眺望はよい。明治になって、県下最初の洋式の製糸器械が導入されたが、製糸工業の発達はあまりみられず、諏訪地方の政治、文化、商業の中心としての機能が大きかった。第二次世界大戦中に時計などの工場が疎開してきて、オルゴール、時計、レンズなどの精密機械の製造が盛んになり、現在セイコーエプソンの本社がある。
上諏訪温泉は約550の泉源があり、湯量は豊富で、一般家庭にも引き湯している。湖岸に近代的なホテル、旅館が並び、県下でも規模の大きい温泉町を形成している。市域の南西部の中洲地区には諏訪大社の上社本宮がある。このほか観光資源に諏訪湖、霧ヶ峰などの自然景観と霧ヶ峰スキー場がある。面積109.17平方キロメートル(一部境界未定)、人口4万8729(2020)。
[小林寛義]
『『諏訪史』2~4巻(1931~1966・諏訪教育会)』
長野県中部,諏訪地方の中心都市。1941年市制。人口5万1200(2010)。諏訪湖の南東岸に接し,中央部には上川,宮川沿いの沖積平野が開け,北部は霧ヶ峰高原,南部は赤石山脈北端の山地である。江戸時代は高島藩諏訪氏の城下町として,また甲州道中の宿場町,温泉町として発達した(上諏訪)。明治以降,諏訪地方の行政の中心地となり,1872年には長野県で最初の洋式機械を備えた製糸工場が建設されて,この地域の製糸業発展の先駆をなした。1905年中央本線が開通し,以後上諏訪駅を中心に市街が形成された。現在は製糸工業に代わって,時計など精密機械,電子機械のほか,パルプ工業,清酒・みそなどの醸造業や水産加工なども盛んである。市街地から諏訪湖畔にかけて湧出する上諏訪温泉は湯量が豊富で,約550の泉源から温泉旅館ばかりでなく,一般家庭,役所,学校,工場,駅などにまで湯が供給されている。ワカサギ釣りやスケートで知られる諏訪湖,湖畔の高島城跡,全国の諏訪信仰の中心である諏訪大社上社本宮,ハイキングやグライダーの楽しめる霧ヶ峰高原など史跡名勝に富む。中央自動車道,国道20号線が通じる。
執筆者:市川 健夫
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[沿革]
県域はかつての信濃国全域にあたる。江戸末期には松本藩,飯田藩,高遠(たかとお)藩,高島藩(諏訪藩),田野口藩(後に竜岡藩と改称),松代藩,須坂藩,飯山藩,岩村田藩,小諸藩,上田藩の諸藩が分立しており,木曾は尾張藩領で,そのほかにも天領,旗本領,寺社領などが入り組んでいた。1868年(明治1)伊那県が置かれて,尾張藩の所管となっていた旧天領,旗本領などを支配下に置き,翌年三河県を併合(1871年額田県に編入),70年には一部を割いて中野県を設けた。…
※「諏訪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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