南佐久郡・
赤岳は、火口壁の岩角一面が酸化鉄のため赤色を帯びるためこの名があるという。阿弥陀岳との中間の
県東南部にあって、日本列島を東北と西南に二大区分する糸魚川―静岡構造線(フォッサ・マグナ)の中心地帯にあたり、富士火山帯の北部を占めて長野・山梨の面県にまたがる火山列。特に、北西延長部には
北巨摩郡と長野県にまたがる山。標高二〇〇〇メートル級の連峰からなり、一連の火山列と考えられている。フォッサマグナ上の断層群によって構成されているため、長期の浸食作用などにより複雑な山容をつくり出した。南端の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野県東部と山梨県北部にまたがる火山。八ヶ岳の〈八〉は特定の8峰の意味でなく,多数の峰を表したものと考えられる。狭義には主峰赤岳(2899m)を中心として南北に連なる西岳,編笠(あみがさ)山,権現岳,阿弥陀(あみだ)岳,横岳,硫黄岳,峰ノ松目などの山列を指す。近年はこれらを南八ヶ岳としてまとめ,夏沢峠以北の根石岳,天狗岳,中山,縞枯(しまがれ)山,横岳などを北八ヶ岳として,両者を合わせて南北20km以上にわたって連なる標高2200~2900mの山列を八ヶ岳と呼ぶのが一般的となった。南北いずれもフォッサマグナの地域に,第三紀層を基盤として生じた火山群である。しかし南北の山容にはかなりの違いがみられ,南八ヶ岳は輝石安山岩からなり,開析の進んだ岩峰が連なって高山的様相を呈するのに対し,北八ヶ岳は玄武岩などからなり,森林におおわれたなだらかな山々が連なる。南八ヶ岳はかつては巨大な複式成層火山だとされ,西側に開く巨大な馬蹄形の地形はカルデラだと考えられてきた。しかし1970年ころからこの説は否定され,赤岳など主稜線上の山々はいずれも,高く隆起した基盤の上に生じた成層火山で,山列は火山活動の中心が南から北へ移動することによって生じ,馬蹄形の地形は崩壊などの浸食によってできたと考えられるようになった。北八ヶ岳の山々は成層火山である天狗岳を除くと,すべて溶岩円頂丘で,現在の地形に直接かかわる範囲での形成期は南八ヶ岳よりも新しいとされている。北八ヶ岳の中腹には白駒池,雨池,双子池など小さな湖が多い。
八ヶ岳は日本では富士山,日本アルプスに次ぐ高山地域をなし,植物の垂直分布帯がよく発達する。高山帯は標高2500m以上の部分を占めるが,植物相はきわめて豊富で,その中にはヤツガタケアザミやヤツガタケタンポポなど八ヶ岳の名を冠するものも少なくない。亜高山針葉樹林にも特色があり,シラビソ,オオシラビソなど通常の樹種に加え,イラモミ,ヒメバラモミ,ヤツガタケトウヒ,ヒメマツハダなど,この付近の山域にしか分布しないような樹木が多数生育している。これらはいずれも古い地質時代からの生残りと考えられている。このほか北部の縞枯山は,亜高山帯シラベ林に特有の立枯れ現象がおこっている山(縞枯山)として知られる。ほぼ全域が八ヶ岳中信高原国定公園に指定され,縦走路のほか諏訪側,佐久側から多くの登山路があり,交通便利なため入山者が多い。周辺には温泉や鉱泉も多く,諏訪側に蓼科温泉,赤岳温泉など,佐久側に稲子湯温泉,海ノ口温泉などがある。
八ヶ岳は蓼科山へ続く北西側の一部を除いて,四方に軽石流や泥流堆積物などからなる広大なすそ野が広がっている。八ヶ岳のすそ野の農業土地利用の特色は,南西斜面で標高1300m付近までまとまった水田が広がること,東斜面の野辺山原で1600m付近まで畑地となっていること,南斜面で1200m付近まで水田と畑地が混在することである。
八ヶ岳のすそ野には先史時代の遺跡が多く,東側の先土器時代の矢出川遺跡(南牧村)のほか,西側の阿久(あきゆう)遺跡(原村),尖石(とがりいし)遺跡(茅野市),井戸尻(いどじり)遺跡群(富士見町)などの縄文時代前~中期の遺跡が著名である。また,東西両側のすそ野には古代~中世に官牧があったことが,《延喜式》《吾妻鏡》によって知られる。西側のすそ野は,神野(こうや)と呼ばれて神聖視され,中世までは耕作が行われなかった。戦国時代,武田信玄が甲斐から信濃への進軍のために切り開いたといわれる道が,東西のすそ野にある。いわゆる〈信玄の棒道〉である。近世に入ると西側のすそ野にも多くの新田村が成立した。ここは標高1000m以上の高冷地で水の便は悪かったが,日照時間が長いため水田耕作が可能で,18世紀末に坂本養川(ようせん)の手によって滝湯汐(たきのゆせぎ)など15の用水路がつくられ,これによって300haをこえる水田が開かれた。
西斜面では明治以降養蚕業が盛んとなり,明治30年代末には中央本線が開通し,農業の近代化も進んで大正末~昭和初期にはキャベツなどの高原野菜の栽培が始められた。1947年俎(まないた)原(茅野市)の標高1200~1400m付近に農林省八岳馬鈴しょ原原種農場(現,独立行政法人の種苗管理センター八岳農場)が開設され,南西麓一帯は県下の種ジャガイモの主産地となったほか,戦後はセロリ,レタスなどの栽培も普及した。南斜面の山梨県北杜市の中北部付近では湧水や小河川に恵まれて水田が早くから開け,戦後は高原野菜栽培が盛んとなり,観光地化も進んでいる。東斜面では日照時間が短いためもあって水田は千曲川河谷付近に限られ,南半の野辺山原,念場原(清里高原)一帯は明治に入っても開発が進まず,自然のままの放牧・採草地などであった。1935年国鉄(現JR)小海線が開通してからしだいに開けたが,本格的な開発は戦後この付近に開拓地が開かれて以来で,標高1600m近くまで草地や日本有数の産額を誇るレタスなどの畑地が広がる。
戦後すそ野一帯では観光開発が急速に進み,北西の蓼科山との間の蓼科高原,南東の清里高原や海ノ口付近では,標高1700mまで別荘地となった。北部の横岳には1968年ロープウェーが通じた。JR中央本線,小海線の分岐点で,甲州街道(国道20号線),中央自動車道の通じる北杜市の旧小淵沢町が周辺の交通の要衝をなし,小淵沢から八ヶ岳公園道路(2001年無料開放)の通じる清里高原や,八ヶ岳鉢巻道路の通じる原村にはペンションなどが多くつくられ,観光客でにぎわっている。北部の白駒池付近には,麦草峠を越えてほぼ東西に自動車道が通じ,北東麓の松原湖周辺や佐久穂町の旧八千穂村などでも,観光開発が進みつつある。
執筆者:小泉 武栄+大沢 正敏
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長野・山梨県境にある火山群で、佐久盆地と諏訪盆地(すわぼんち)を分ける。中央地溝帯の東縁に噴出し、北から横岳、縞枯(しまがれ)山、天狗(てんぐ)岳、硫黄(いおう)岳、横岳、赤岳、権現(ごんげん)岳、編笠(あみがさ)山など2500メートル前後の山々が南北約20キロメートルにわたって続く。最高峰は南端に近い赤岳で標高2899メートル。東、南、西に広大な裾野(すその)を形成し、広原、野辺山(のべやま)、富士見(ふじみ)、清里(きよさと)などの高原がある。硫黄岳の鞍(あん)部を通る夏沢峠(なつざわとうげ)を境に、北八ヶ岳と南八ヶ岳に分かれ、南八ヶ岳は侵食が進んで山頂付近まで渓谷が達しているが、北八ヶ岳は穏やかな山容で、山頂部東側に白駒、雨池、二子などの湖がある。裾野一帯は1600メートルあたりまでカラマツやアカマツが多く、2500メートル付近まではシラビソ、コメツガ、ダケカンバなど、それより上部はハイマツに変わる。またヤナギラン、マツムシソウなどの高山植物も多い。硫黄岳と横岳の間にはキバナシャクナゲ自生地があり、国の天然記念物に指定されている。山頂からは日本アルプスをはじめ、富士山、浅間山など中央日本の高山が大観できる。連峰を横断する峠は麦草峠、大河原峠、夏沢峠などがあるが、車道が通じるのは麦草峠(2151メートル)だけで、快適なドライブウェーになっている。山腹には東側に本沢(ほんざわ)、稲子湯(いなごゆ)、春日(かすが)、西側に奥蓼科(おくたてしな)などの温泉がある。登山コースのうち、稲子湯温泉から夏沢峠を経て南八ヶ岳を縦走し、JR中央本線小淵沢(こぶちざわ)駅へ至るコースは約18時間、2泊3日を要する。
[小林寛義]
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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