日本歴史地名大系 「修身館跡」の解説 修身館跡しゆうしんかんあと 秋田県:本荘市本荘城下桜小路修身館跡[現在地名]本荘市桜小路本荘藩の藩校で、天明年間(一七八一―八九)七代藩主六郷政速が城中三の丸に創立した。安政三年(一八五六)には「作事役所長屋ニ移シタルモ組織旧ニ異ナラス、側ニ闘場ヲ置キ撃剣槍術柔術ヲ士卒ニ学ハシム」とあり、桜小路に移転した。教授内容は句読生とよぶ幼年組と文義生とよぶ青年組に分れ、五〇名程度の士族の子弟を対象としていたという(本荘町志)。戊辰の兵火にあい全焼、明治二年(一八六九)には東(ひがし)町に借家仮住いをして惣教館と改称、規模も拡大し生徒数もおよそ倍になり、士分の子弟のほかに足軽の子弟の入校を許可した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by