本荘藩(読み)ほんじょうはん

藩名・旧国名がわかる事典 「本荘藩」の解説

ほんじょうはん【本荘藩】

江戸時代出羽(でわ)国由利郡本荘(現、秋田県由利本荘市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は修身館(しゅうしんかん)(明治維新後に総教館と改称)。この地は、亀田藩と同様、最上(もがみ)氏が支配していたが、1622年(元和(げんな)8)に最上氏が改易(かいえき)処分を受けたことで、翌23年に常陸(ひたち)国府中1万石の六郷政乗(ろくごうまさのり)が1万石加増され2万石で転封(てんぽう)(国替(くにがえ))、本荘藩の藩祖となった。六郷氏の出身は、出羽国仙北(せんぼく)郡六郷の豪族だった。本荘藩の立藩後、明治維新まで藩主は六郷氏11代を数えた。戊辰(ぼしん)戦争では、新政府を支持して秋田藩とともに庄内藩征討に当たった。その功で1869年(明治2)に賞典禄1万石を受けたが、71年の廃藩置県により、本荘県を経て秋田県に編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本荘藩」の意味・わかりやすい解説

本荘藩
ほんじょうはん

出羽(でわ)国本荘(秋田県由利(ゆり)本荘市)周辺を領有した外様(とざま)藩。藩主六郷(ろくごう)氏。2万石。1623年(元和9)常陸(ひたち)府中1万石の六郷政乗(まさのり)が、1万石を加増されてこの地に立藩、11代にわたり在封。戊辰(ぼしん)戦争では11代政鑑(まさあきら)が新政府に与(くみ)し賞典禄1万石を与えられた。廃藩置県で本荘県となり、のち秋田県に編入。

[編集部]

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デジタル大辞泉プラス 「本荘藩」の解説

本荘藩

出羽国、本荘(現:秋田県由利本荘市)周辺を領有した外様藩。藩主は元和年間に常陸国茨城県)、府中から入封した六郷氏。

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