日本歴史地名大系 「本荘城下」の解説
本荘城下
ほんじようじようか
〔城下の形成〕
中世までの様相は明らかではないが、この地の経済的・軍事的重要性に着目し、城を築いたのは最上義光の臣楯岡豊前守満茂であった。満茂は由利郡支配のため、当初
六郷氏は破却された本城城を改修し、本荘(庄)城と改めたといわれる。当初の城下町の規模は不明だが、幕末期と思われる本荘城下絵図(秋田県史)では城の北と東に侍町・足軽町を配置し、その東端に寺を置き、北は社寺を隔てて子吉川となる。侍町のほぼ北西部に商人町を置き、その南西端から北国道へつながる道があった。町人町である
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報