日本歴史地名大系 「倉埣村」の解説 倉埣村くらぞねむら 宮城県:桃生郡桃生町倉埣村[現在地名]桃生町倉埣南西流する北上川南岸に位置し、集落は自然堤防上に立地。気仙(けせん)道が通る。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の葛西中に「くらそねの内 船五そう」とある。寛永六年(一六二九)の登米伊達家二代白石刑部太輔(宗貞)宛の伊達政宗領知黒印状(同文書)に登米(とめ)として「くらそね村」とあり、四八貫七四四文が記される。正保二年(一六四五)まで白石氏の所領があった(登米藩史稿)。正保郷帳に「倉埣村」とみえ、田五三貫七〇二文・畑一〇貫九三四文で水損・旱損と注される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by