倉常村(読み)くらつねむら

日本歴史地名大系 「倉常村」の解説

倉常村
くらつねむら

[現在地名]庄和町倉常

芦橋よしはし村の南西にあり、西を庄内古しようないふる川が流れる。寛永三年(一六二六)に開かれ、慶安三年(一六五〇)に倉常新田、延宝三年(一六七五)に倉常村と称したという(郡村誌)。延宝三年の検地帳(東京大学法学部法制史資料室蔵)では田三〇町九反余・畠五三町余・屋敷七町余、元禄郷帳に村名がみえ、高八〇四石余。文化元年(一八〇四)の関宿領・庄内領惣新田組村高地頭姓名書上帳控(石川家文書)には幕府領四一六石余のほか旗本酒井領・松井領は各一九四石余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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