日本歴史地名大系 「倉成村」の解説 倉成村くらなりむら 大分県:速見郡山香町倉成村[現在地名]山香町倉成小武(おたけ)村の北西、八坂(やさか)川支流の立石(たていし)川北岸にあり、鋸(のこぎり)山南麓を村域とする。村は永石(なげいし)・弘安寺(こうあんじ)・祥光寺(しようこうじ)・台(たい)・横尾(よこお)・妙楽寺(みようらくじ)・田口(たぐち)・釜(かま)ヶ迫(さこ)・祝部苑(ほうりぞの)・高平(たかへら)・若林(わかばやし)・本林(もとばやし)・野口(のぐち)・西妙善坊(にしみようぜんぼう)・東妙善坊・柚(ゆ)ノ迫(さこ)・平原(ひらばる)・後(うしろ)ノ迫(さこ)・宮の尾(みやのお)・藪田(やぶた)・小早田(こわさだ)・鈴宮(すずみや)・中村(なかむら)・高鳥(たかとり)・長畠(ながはた)・徳富(とくとみ)の二六の小村から構成される。〔中世〕豊後国弘安図田帳に「下倉成名十六町 肥前国御家人綾部小次郎道明跡、後家善阿・(同脱カ)女子・小田原五郎景郷配分、為知行云云」とある。また鎌倉末期の弥勒寺領諸庄供米注文(永弘文書)に「立石倉成四斗」とあり、四斗の宇佐宮神宮寺弥勒寺供米を負担していた。永正一三年(一五一六)と推定される一二月二七日の大友親安(義鑑)知行預ケ状(長野末夫文書)には「山香郷之内倉成左京亮跡徳富壱町之内 味曾薗五段分之事」とあり、長野太郎兵衛尉に預けられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報