弘安寺(読み)こうあんじ

日本歴史地名大系 「弘安寺」の解説

弘安寺
こうあんじ

[現在地名]新鶴村米田 堂ノ後

根岸ねぎし西方山麓にある。普門山と号し、曹洞宗本尊十一面観音中田なかだの観音と通称される。文応元年(一二六〇)下野国那須なす雲巌うんがん(現栃木県黒羽町)の曹洞僧巌知が来住し、中田庵としたのに始まる。弘安二年(一二七九)当地の豪族富塚盛勝が臨済宗に帰依し、巌知を臨済宗に改めさせ、堂宇建立年号をとって弘安寺とした。その後諸宗の僧が住んだが、しだいに衰えた。寛永一九年(一六四二)天寧てんねい(現会津若松市)の天寧寺の僧通巌が再興し曹洞宗となる。弘安寺がかつて別当を勤めた観音堂は、文永一〇年(一二七三)六月一七日佐布川さぶかわ(現会津高田町)の江川常俊が亡き娘の供養のため観音像を鋳し、四間四面の堂を建立したのに始まるという(新編会津風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「弘安寺」の解説

弘安寺

福島県大沼郡会津美里町にある曹洞宗の寺院山号は普門山。1279年創建とされる。観音堂にある本尊の十一面観音(国指定重要文化財)は「中田観音」と呼ばれ、寺もこの名で呼ばれることが多い。

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