僧正遍昭墓(読み)そうじようへんじようのはか

日本歴史地名大系 「僧正遍昭墓」の解説

僧正遍昭墓
そうじようへんじようのはか

[現在地名]山科区北花山中道町

阿弥陀寺の南、日ノ岡と西野山を結ぶ道に面し、墓石の傍らに桜樹が植えられている。

遍昭は六歌仙の一人として著名であるが、俗名良岑宗貞、桓武天皇皇子の大納言安世の子で、承和一三年(八四六)左近衛少将、嘉祥二年(八四九)蔵人頭。仁明天皇に仕えて寵を得たが、同三年天皇の死とともに出家雲林うりん(現北区に寺跡)元慶がんけい寺を創建、仁和元年(八八五)元慶寺座主となり花山僧正と号した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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