北花山村(読み)きたかざんむら

日本歴史地名大系 「北花山村」の解説

北花山村
きたかざんむら

[現在地名]山科区北花山〈市田いちだ町・大林おおはやし町・大峰おおみね町・上稚児かみちごいけ河原かわら町・下稚児しもちごいけ寺内てらうち町・中道なかみち町・西ノ野にしのの町・山田やまだ町・横田よこた町・六反田ろくたんだ町〉

北は三条街道でおか、東は西野にしの、南は上花山かみかさんの各村に、西は上・下稚児ちごヶ池とそれから発する稚児川とによって清閑寺せいかんじ(現東山区)に接する。西部は東山山地で村内に花山かさん山があるが、東部は平地で、中央を東西に渋谷しぶたに街道が通る。

平安時代前期から元慶がんけい寺が花山山にあって花山寺ともよばれていた。「京都府地誌」は、天智天皇時代に華頂かちようと称したのを平安京遷都の際に花山と改称したというが、信じがたい。同地誌は、天正一七年(一五八九)に北花山・上花山・しも花山の三村に分れ、寛保年中(一七四一―四四)に北花山と下花山が合して北花山村になったともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報