第54代に数えられる天皇。在位833-850年。名は正良。嵯峨天皇と皇后橘嘉智子の間に生まれる。823年(弘仁14)叔父淳和天皇の皇太子となり,833年(天長10)淳和天皇の譲位によって位につく。父嵯峨上皇の家父長的権威のもとに,政情は安定を続け,弘仁・天長年間(810-834)に発達した唐風儀礼や漢詩文の文化は,この天皇の承和年間(834-848)に最盛期を迎えた。842年(承和9)7月,嵯峨上皇の死に際して承和の変が起こり,皇太子恒貞親王(淳和天皇の皇子)が廃され,天皇と藤原冬嗣の女順子との皇子,道康親王(のち文徳天皇)が立太子したが,その後政情はまた平穏で,天皇40歳の算賀行事は盛大をきわめた。《続日本後紀》はこの一代18年間を記した正史で,869年(貞観11)完成をみた。その陵である深草陵により,深草帝(ふかくさのみかど)とよばれる。
執筆者:目崎 徳衛
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(瀧浪貞子)
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第54代の天皇(在位833~850)。名は正良(まさなが)。父は嵯峨(さが)天皇。母は皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ)。823年(弘仁14)立太子。833年(天長10)即位。性聡明で経史に没頭、講誦して倦(う)まず、漢音に通じ、『群書治要』をはじめ多くの書を読み、文藻を愛し、書をよくし、淳和(じゅんな)天皇の草書を学んだ。『経国集』に詩一編が残る。弓をよく射、音楽にも優れ、医学に関心が深かった。内嬖(ないへい)が多く、ぜいたくを好んで、財を浪費した。嘉祥(かしょう)3年3月21日崩御。御陵は京都市伏見区深草にある深草陵。
[横田健一]
810~850.3.21
在位833.2.28~850.3.21
深草帝とも。嵯峨天皇の第1皇子。名は正良(まさら)。母は橘清友の女嘉智子。823年(弘仁14)淳和(じゅんな)天皇の皇太子に立ち,833年(天長10)譲位をうけて践祚(せんそ)した。皇太子にははじめ恒貞(つねさだ)親王(淳和天皇の皇子)を立てたが,842年(承和9)これを廃し(承和の変),長子(文徳天皇)の立太子を実現した。出家して2日後,在位のまま死去。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…20巻。仁明天皇1代,833年(天長10)から850年(嘉祥3)にいたる18年間の歴史を記す。文徳天皇の命により,藤原良房,春澄善縄らが編纂にあたり,清和天皇の869年(貞観11)に完成奏上。…
※「仁明天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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