元一里町・今一里町(読み)もといちりまち・いまいちりまち

日本歴史地名大系 「元一里町・今一里町」の解説

元一里町・今一里町
もといちりまち・いまいちりまち

[現在地名]大津市大谷町おおたにちよう

下大谷町の西に続く東海道の片側町。寛保二年町絵図では本一里塚町のみ記されるが、「輿地志略」では今一里塚町もみえる。享保一四年(一七二九)今一里は家売買や婚礼の際の出銭や、祭礼のときの諸規定を定めている(片岡文書)。大谷町・追分おいわけ町の東海道筋で土産として人気のあった大津算盤は東海道名所図会にも大津絵などとともに名物としてみえ、正徳二年(一七一二)の「和漢三才図会」にも近江国にのみ算盤をあげるから、少なくとも当時最大の産地であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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