結婚を成立させるための儀式。法的には夫婦関係を生じさせ、法律行為を開始させるためのセレモニー。古来、結婚式は宗教的儀式とされてきたが、現代では世界のほとんどの国で、結婚は単に民事契約としているものの、宗教的色彩は色濃く継承されている。
[石川朝子]
わが国においては、奈良時代より古い時代の記録にも、「妻問の物(つまどいのもの)」と称して、男性側から意中の女性に品物などを贈ったり、結婚のときは「百取の机代の物(ももとりのつくえしろのもの)」といって、女性側が多くの飲食物で新婿を歓待するといったことが行われた、とある。ただし、結婚式らしい儀式の芽生えは平安時代からで、「三日夜の餅(みかよのもち)」とよばれるものからだろう。そのころの結婚は、当人同士の恋愛から始まるのが一般的で、ほとんどの場合、男が女の家へ毎晩通っていくとか、泊まり込んでしまうなどして、夫婦関係を発生させた。結婚を認めるのは、まず女性側の親であり、結婚式も女性側の家であげた。これがだんだん形式化され、初めて夜をともにすることを「新枕(にいまくら)」と称し、3日間ひそかに通い続けて、妻方が婿を認める式をするようになった。婿はこのとき初めて公然と姿を女性の両親などに見せることから、この式を「露顕(ろけん)」「ところあらわし」とよんだ。この儀礼のハイライトが新夫婦で餅を食べることであり、これを「三日の餅」または「三日夜の餅」と称したのである。つまり、平安時代の結婚式は婿取り婚であった。
1993年(平成5)6月9日、皇太子徳仁(なるひと)殿下と雅子(まさこ)妃の結婚式にも、「三箇夜餅(みかよのもち)の儀」があったのは興味深い。これは、銀盤4枚に、それぞれのとしの数だけの小餅をのせ、供えられたと伝えられているが、一種の飾り物に近いものになったと考えてよいのだろう。
今日にみられる、嫁入りによって婚姻が成立し、生活も婿方でされる場合が多い嫁入り式婚姻の発生は、鎌倉時代にさかのぼる。これは、武家の誕生によって生み出されたもので、父権家族制度の成熟に伴って定着していったものである。封建社会組織が確立してくると、小笠原(おがさわら)流や伊勢(いせ)流など、儀礼の流派まで誕生した。武家社会の嫁入り式結婚は、やがて他の階級社会にも浸透していき、現代に至っているのである。しかし、父権家族制の衰えとともに、この嫁入り式婚姻も現在では大きく変わってしまった。結婚によって、婿方・嫁方のいずれでもない、新しく独立をして生活をするという傾向である。このほうがいまや常識といっていいだろう。すでに嫁入り式婚姻の壊滅期になっているのである。
日本の結婚式は欧米諸国と異なり、あまり信仰にかかわりをもたないのが特色である。当人たちの宗教や思想と関係なく、神式、仏式、キリスト教式など、単なる形式にすぎない形をとるのは、昔から多くの地域で神がつかさどる宗教的儀式とされてきた概念の遺産であろうか。昨今では結婚式よりも、その後の披露宴に重点が置かれている。はでになる傾向は強く、とくに都会の結婚式場では奇をてらうほど奇抜なアイデアを案出し、「商品」としているところもある。
むろん、婿方の家で挙式および披露宴を行う所も数多くあるが、式場や宴会場のあるホテル、会館、神社、寺院、専門の結婚式場を利用するケースのほうが圧倒的に多い。この場合は両家が式場に集まって挙式をするので、「出合い結婚式」ということばも生まれている。
[石川朝子]
欧米では星占いで結婚式の日を決める習慣があり、中国、インド、イスラム教国においては、独特の吉凶の占いで吉凶の日を定める。日本でも昔から縁起を重んじ、暦の吉凶も重要視する。式日は黄道吉日(こうどうきちにち)(陰陽道(おんみょうどう)で何をしても吉であるとされる日)が選ばれ、六輝の大安を吉とし、仏滅を忌み、丙午(ひのえうま)の女性を嫌うなど、民俗信仰はいまも根強く残っている。しかし徐々に、こうした迷信にとらわれず式日を決める傾向が育ち始めている。挙式日の決定は、花嫁の生理日を避け、花婿の勤務先や仲人(なこうど)・親族の都合など、現実的なことを考慮に入れて行うのがよい。
現在日本で行われている結婚式の種類は、神前式、仏前式、キリスト教式、人前式(新様式)などである。
[石川朝子]
祭壇の神前にお神酒(みき)や海の幸・山の幸を供え、その前で夫婦固めの杯(さかずき)を交わす式である。この様式は古来からあったが、1900年(明治33)、時の皇太子(大正天皇)の御成婚の儀以来、一般的に普及したとされている。このときは、伊勢(いせ)神宮の分霊を東京・日比谷(ひびや)大神宮(現在の東京大神宮)に祀(まつ)って行われたのだが、この伊勢神宮をはじめ、明治神宮、出雲(いずも)大社など、由緒ある神社への崇拝意識が強く、分霊という方法がとられたのである。これだと、分霊さえ迎えて祭壇をつくれば、どこの結婚式場でも神前結婚式は可能で、現在の結婚式の70%を超えるとされる神前式の人気も不思議ではない。
式次第は各神社によって、あるいは初穂料(挙式料金)によって若干異なるが、多くの式場で次のような形式をとっている。当日、新郎・新婦、仲人夫妻および参列者は、式場指定の時刻に参集する。両家別々の控室に入り、係員から式次第などの説明を受ける。やがて係員の先導で式場に入るのだが、新郎側は祭壇に向かって右側、新婦側は左側に着席する。着席順は両親兄弟、祖父母、伯叔父母と、血の濃さの順。新郎・新婦は祭壇の前に、仲人はその後ろに着席する。斎主(神主)以下神職が入場し、進行係が婚儀の開始を告げる。一同起立して、斎主の修祓(しゅうふつ)(おはらい)を受け、斎主が神前に一礼したら、参列者もこれに倣って一礼し、着席する。雅楽が奏され、献饌(けんせん)の儀(神前に物を供える儀式)が行われる。続いて2人の結婚を神に報告する祝詞(のりと)が奏上されるから、一同立ってこれを聞く。次に新郎・新婦と仲人夫妻は、誓杯の儀(三三九度の杯、三献(さんけん)の儀ともいう)を行う。斎主が神前からお神酒をおろし、銚子(ちょうし)に移す。三方に三つ重ねの杯をのせ、巫女(みこ)(通常2名)がまず新郎に勧める。新郎は一の杯(いちばん小さい杯)を両掌で受け取り、巫女の注ぐお神酒を頂いて三口で飲み干す。その杯を巫女は新婦に勧め、新婦も三口で飲む(杯に口をつけ、飲むまねだけでもよい)。第二の杯は新婦から新郎へ、第三の杯は新郎から新婦へ、と繰り返して終了する。
このあと、楽人による奏楽があり、舞女(まいひめ)2~4人によって豊栄(とよさか)の舞が奉納される(省略されることも多い)。新郎・新婦は神前に進み、一拝して誓詞を奏上する。新郎が声を出して誓詞を読み、新婦は自分の名前のみを奏上する。これが終わると、誓詞を巻き納めて案(あん)(供物を置く祭壇の前の小机)上に供えて一拝し、次に玉串(たまぐし)の奉奠(ほうてん)がある。玉串は榊(さかき)の枝に木綿の布か紙垂(しで)をつけたもの。根元を神前に向けて案上に供え、二拝二拍手一拝してから所定の席につく。最近ではこのあと指輪の交換を行うことが多い。この玉串奉奠は仲人夫妻、両家の代表もそれぞれ行うが、終わって着席すると、両家全員の席にあらかじめ用意されていた杯にお神酒が酌まれ、乾杯して飲み干し、両家親族の固めの杯とする。斎主が一拝し、一同も一拝すると、斎主はめでたく式が終了したことを告げ、新夫婦が誕生したことになる。
[石川朝子]
仏教には、夫となり妻となるのも前世からの因縁であり、仏の導きによるもの、という哲学がある。だから信仰心の厚い仏教徒は、菩提(ぼだい)寺などゆかりのある寺院で結婚式を行う。逆に自宅に僧侶(そうりょ)を招いて式を行うこともある。もっとも、最近では、大きな寺院には結婚式場の設備をもつ例もあり、信仰心の有無にかかわらず希望者は寺院での挙式もできる。宗派によって多少異なるが、式次第は次のような形式がほとんどである。式場は当然ながらご本尊の祀られてある本堂。仏壇の前に香華(こうげ)、燭台(しょくだい)、香炉などが置かれ、その後ろに導師(主僧)の席がある。導師の後ろに新郎・新婦、そのわきに仲人夫妻、両側に両家の親族などの席が並んでいる。
両家の家族や親族、来賓などが入堂して着席すると奏楽が始まり(宗派によってない場合もある)、仲人に導かれて新郎・新婦が入堂する。新郎が仏壇に向かって右、新婦が左に席を置くのが一般的である。導師が従僧を従えて入場、司会者が開式を告げる。まず導師が香を仏前に献じ、両人の結婚の成立を報告してから読経をする。次に導師が2人の頭上に清めの水(浄水)を振りかけ、新郎・新婦はこれを合掌して受けなければいけない。このあと、従僧が仏前から数珠(じゅず)をとり、導師に渡す。導師がこれに香を薫じて、新郎・新婦の合掌した手にかけ与え、2人はめでたく仏前で結ばれたことになる。このとき、希望があれば指輪の交換をすることもできる。
続いて一同起立して合掌し、導師に従って「三帰礼文(さんきらいもん)」(仏・法・僧の三宝に帰依(きえ)する経文)を唱える。導師が一句ずつ唱え、一同が続いて唱和する。このあと新夫婦と両家の固めの杯を行う。次に新郎・新婦はそろって左手に数珠を持ち、右手で香をつまんで焼香し、礼拝してから誓詞を捧読(ほうどく)し、結婚署名簿に新しい名前を書いて拇印(ぼいん)を押す。このあと導師による法話が行われ、それが終わって導師が退場してすべての式は終了したことになるが、その後、参列者が順に焼香することになっている。
[石川朝子]
本来教会での結婚式はキリスト教信者に限る、というのが原則である。キリスト教徒にとって、結婚とは神に対する誓約であり、神の祝福を受けて結ばれるものであるから、神を信じない者、信者でない者はその資格がないわけである。ただ、現在では、新郎・新婦のうちどちらかが信者であれば挙式することができる教会もある。ただし、ホテルや結婚式場にチャペル(礼拝堂)がある場合は信者でなくても挙式できるが、その場合でも司祭または牧師による結婚の意義についてのオリエンテーションを受ける必要がある。
信者同士の結婚式は新郎・新婦の所属する教会の礼拝堂で行うが、2人の教会が異なるときは2人で相談して決めてよいとされているものの、多くは新郎側の教会であげるケースが多い。式をあげる前に、宗派によっては婚約式というものを行うこともある。結婚式の日が決定すると、教会は2週間前に公表する。2人の結婚に異議をもつ信者がいれば、式の当日までに教会に申し出ることができ、申し出人が2人以上いれば、教会は挙式するか否かを協議して決めなければならない。
挙式後は神の意志によって結ばれた者同士である。異議は差し挟めないし、離婚も認められないことになっている。キリスト教式の場合、神式でいう仲人のように、2人の証人が必要である。証人はかならずしも夫婦である必要はない。日本の場合は長い習慣によって仲人夫妻が証人をつとめるケースが多いが、新郎・新婦がキリスト教徒なら、証人も信者であることが好ましい。キリスト教式は他の式と異なり、だれでも式に参列することができる。なるべく多くの人々と喜びを分かち合い、できるだけたくさんの人々に祝福してもらうためである。通りがかりの人でも自由に参列が許されるのもこのためである。
カトリックとプロテスタントでは多少の違いがあるものの、現在日本で行われているキリスト教式の式次第は次のようなものである。式場の祭壇に花を飾り、中央通路には白い布を敷く。バージン・ロードといい、新郎・新婦、証人と介添人以外は式前にこれを踏むことは許されない。式場内の席は、祭壇に向かって右が新郎側、左を新婦側とする。前列から家族、親族、主賓と並び、あとは到着順でよい。まず新郎が司祭(牧師)の出入口から証人と入場し、祭壇に向かって右側に立ち新婦の入場を待つ。この間オルガンが奏され続けるが、ワーグナー作曲のオペラ『ローエングリン』の「婚礼の合唱」にかわると、新婦が父親に付き添われてバージン・ロードの上を祭壇へと進む。この父親との入場は仲人夫人が代行してもよいし、新郎はベストマン(介添人。新郎の友人がつとめる)、新婦はブライズメイド(介添人。新婦の未婚の友人がつとめる)に先導される場合もある。
そのブライズメイドの前を、リング・ボーイ(指輪を持って入る少年)、フラワー・ガール(小花の入った籠(かご)を持って入る少女)もいっしょに入場することもある。花嫁の衣裳が長く、裾(すそ)を引くトレーンやベールを着用しているときは、裾持ちの子供が1名ないし2名つく。祭壇前に誘導された新婦は、新郎の左側に並び、その後ろにベストマンとブライズメイド、そして証人が立つ。このとき、新婦の父は自席に帰り、一同起立して賛美歌を歌う。司祭は次に聖書のなかの結婚に関する章句を読んで神に祈り、式辞を述べる。
誓約と指輪の交換は結婚式のハイライト。司祭が新郎・新婦を祭壇の前に呼び寄せ、列席の一同に結婚の立会人になることを求めて起立してもらう。新郎に向かってその名を呼びかけ、「何某を妻とし終生節操を守ることを誓いますか」という台詞(せりふ)で、新婦にも同様に誓約させる。そして結婚指輪の交換。新婦は手袋を外して介添人に預ける。司祭は新郎・新婦の手を握らせ、その上に自らの手を置いて神に祈り、参列者に向かって、2人が神の意志によって結ばれたことを宣言する。ここで再度列席者によって賛美歌が歌われ、新婦はその間に手袋をはめ、ブーケを持つ。
教会によっては、ここで新郎、新婦、証人、司祭の順で誓約書に署名する。司祭は一同を起立させ、新郎・新婦そして参列者全員に祝福を与える。メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』の「結婚行進曲」が演奏され、一同起立して見送るなかを、新郎・新婦は腕を組み(新郎右、新婦左)、音楽にあわせて退場、そのあとに証人、介添人、両親、親族と続く。フラワー・ガールが新郎・新婦の前を、花をまきながら行くこともある。このあと、教会堂の前に整列して記念写真を撮ることが多い。
[石川朝子]
参列者に証人になってもらう結婚式をいい、宗教に関係なく行う。結婚式そのものの式場として会場を使用する場合と、披露宴会場をそのまま使い、その場で挙式まで行うケースがある。式次第はほぼ以下のとおりである。参列者が会場へ入ると、司会者の挨拶(あいさつ)で始められる。新郎が入場し、続いて新婦も入場(このときキャンドルを持つこともある)。司会者が、参列した人々を証人として結婚式を行うことを宣言し、この時点で場内は厳粛な雰囲気になる。
新郎・新婦が席につき、誓いのことばを述べ、新郎が新婦に、新婦が新郎にそれぞれ指輪をその薬指に交換しあう。続いて2人が婚姻届に署名捺印(なついん)し、証人(仲人)もそれに倣って捺印し、参列者一同に見せる。司会者はここでめでたく結婚の儀式が終了したことを告げ、このあと乾杯をし、祝宴となる。
[石川朝子]
〔1〕自宅結婚式 昔からわが国で行われている、もっとも伝統的な式。結婚式場や披露宴会場が現代のようにないころは、ほとんど自宅で挙式されていた。広い部屋や人手もないことから、都会ではあまり行われないが、地方ではまだこの形式が残っている。また、年々結婚式を華美にしようとする傾向があり、さらに衰退への拍車をかけるに違いない。
〔2〕2人だけの結婚式 新婚旅行を兼ねて行う場合がほとんどである。ハワイやグアムの教会、国内では軽井沢や北海道の教会などであげる結婚式である。自由を好む若者たちに人気があるが、この場合でも立会人出席の義務、両親の承諾書などは必要である。
〔3〕音楽結婚式 方式は人前式と同様だが、式の間ずっとオーケストラや四重奏、ハープトリオなどが演奏を続けるなかで行うもの。
また、変わった結婚式に、バスや船、飛行機など乗り物の中でする式や、野外結婚式、プールサイド結婚式など、思い付くままに会場を選ぶ例もあるが、いずれにしても結婚式はショーではない。基本的な厳粛さだけは忘れないよう、気をつけることがたいせつである。
[石川朝子]
結婚式が終わり、披露宴までの時間を利用して、親族の紹介を行うことが多い。昔は両家をよく知る仲人が両家の親族紹介をしたものだが、最近は「やとわれ仲人」が多いため、両家の代表者(父親が圧倒的)がそれぞれの親族を紹介する。このあと、親族との集合写真や新郎・新婦の写真撮影をすることが多い。
[石川朝子]
結婚式に参列した親族などのほか、来賓が出席する。控室の入口に受付を置いて芳名帳を用意し、来賓のすべてに署名してもらい、席札を渡して控室へ案内する。控室では食前酒を出してもてなす。開宴時刻が迫ったら、披露宴会場の入口で新郎・新婦を中央に、両わきを仲人夫妻、その外側に両家の両親が並び、会場に入る来賓の挨拶を受けながら入場してもらう。来賓が席次表に従って着席したところで、新郎・新婦が仲人に付き添われて入場。このとき、ウェディング・マーチが流れるのが一般的だが、長持唄(ながもちうた)や木遣(きやり)唄なども使われる。音楽は別になんでもよい。
披露宴には着席式と立食式があり、料理も日本料理、西洋料理、中華料理などがある。
西洋風披露宴の進行次第は、だいたい次のとおりである。新郎・新婦が着席すると、司会者が開会の挨拶をし、続いて仲人が先刻式を無事終了したことを報告、2人と両家を紹介する。次に主賓が祝辞を述べ、新郎・新婦によってウェディング・ケーキにナイフが入れられる。ケーキにナイフが入った瞬間を合図に、シャンパンの栓がポンポンと景気のよい音をたててあけられる。シャンパンによる乾杯の音頭は、おもだった来賓がとる。この乾杯は、通常の西洋会食の場合デザート・コースの前に行われるのだが、披露宴の場合は来賓の祝辞を受ける都合上、料理の出る前に行う。一同起立してグラスをあげ、新郎・新婦に心からの祝いの気持ちを込めて乾杯する。すぐに料理が運ばれ、祝宴に移るが、しばらくの間は参会者同士の歓談となる。この間に新婦は中座して「色直し」に出る。最近では新郎も色直しをすることが多いが、主役が不在の間、祝辞は控える。
新婦が仲人夫人に手を引かれて会場に姿を見せたら、来賓は拍手で迎え、席に着いたらふたたび来賓各位に祝辞を述べてもらう。祝電の披露はデザート・コースに入ってから行う。披露宴の最後は、列席の一同に対するお礼のことば。これは新郎・新婦および両家を代表して新郎の父親が行う。このとき仲人の労を感謝することばも忘れてはならない。司会者がお開きの挨拶をしている間に、新郎・新婦、仲人、両親は席を立って会場の出口に並び、退場する来賓たちを感謝を込めて見送る。
中華風のときも、ほとんど同じである。
和風の場合は日本間で行われるのが本来の形であるが、最近はホテルや一般の式場でも日本料理で行われることは多い。そのときは単に椅子(いす)席に変わるだけで、進行は洋風・中華風とあまり変わるところはない。日本間で行う場合、床の間のある位置を正座とする。正式には本膳(ほんぜん)料理であるべきだが、近ごろでは会席料理も多い。日本間での仲人の挨拶や主賓の祝辞のあるときは、新郎・新婦は座ぶとんを外して聞くのが礼儀とされている。乾杯は座ったまま行う。
ビュッフェ・スタイル(立食形式)は、一般的にくだけた形とされている。この種のパーティーは新郎・新婦も来賓たちと親しく歓談でき、両家の親族もよりいっそう親睦(しんぼく)を深めることも可能。席次に頭を悩ますこともない。人数に融通がきくし、列席者が多少時間に遅れたり、早く失礼しても目だたないなど、数多くの利点がある。演出しだいではすばらしい披露宴になることがあるせいか、最近多くなってきている。
宴の進行としては、来賓入場に続き、新郎・新婦が仲人夫妻と入ってきてメイン・テーブルにつく。司会者が開宴を告げ、仲人の挨拶に続いて来賓の祝辞、ウェディング・ケーキ入刀があって乾杯と続く。主役たちがメイン・テーブルについているのはこの間だけ。ただ、ここまでは来賓のすべては立ったままなので、祝辞などはごく短いものにしたい。乾杯のあと、新郎・新婦、仲人は来賓の間を自由に回り、歓談する。最後は着席式のときと同様、両親のお礼の挨拶で締める。
[石川朝子]
祝辞はまえもって依頼されるケースがほとんどなので、内容や話し方などよく整理して、忌みことば(「切る」「離れる」「別れる」「終わる」「戻る」など)は避けて述べるようにしたい。露悪的内容も慎むべきことである。
[石川朝子]
結婚祝は現金または品物を贈る。品物の懸紙(かけがみ)、祝儀袋(のし袋)の文字は、いずれも「寿」とし、水引は金銀または紅白で結び切りとする。品物を贈る場合、当人によくたずね、他の人と重ならないように気をつけたい。本来、現金も品物も式の当日、式場に持参するのは礼を失することであり、少なくとも1週間前くらいまでに自宅に届けるのが正式。
[石川朝子]
式当日手伝いにきてくれた人や式場の諸係の人に渡す祝儀は、両家でよく相談して金額を決める。のし袋には「寿」と書き、両家連名にする。水引は紅白の結び切りのものを使う。あまり大きな袋は避け、小さめのものを少し多めに用意しておいたほうがよい。
[石川朝子]
新郎・新婦が互いに本当の意味で結ばれ、よく理解しあうための旅行である。それまでの交際ではわからなかった部分を知り、発見することがこの旅行の意義といえる。旅行の日程は、無理のないように心がけることがたいせつ。第1日目は結婚式をあげた式場近くのホテルなどに泊まって身体を休め、次の日から出発するほうがよい。宿の決め方は、プライバシーが守られるところ、団体客の少ないところ、周囲の環境のよいところ、などを目安にして選ぶ。海外旅行の場合は、信用できる旅行会社のパッケージ・ツアー(セット旅行)を利用するのも、一つの楽な方法である。持ち物は、できるだけコンパクトにまとめたほうがよい。着慣れた服装、履き慣れたものを用いたい。仲人や特別に世話になった人へのお土産も忘れないようにする。
欧米では、新婚旅行に出かける車にJust Married(新婚ほやほや)などと落書きしたり、花を飾ったり、空き缶などをぶら下げたり、米や花をまいたりして、にぎやかに友人一同が見送る風習がある。
[石川朝子]
結婚して3日か5日目(奇数日)に嫁が夫とともに嫁の実家を訪問することを、里帰りといった。この忌みことばに「里開き」がある。この日、婿方でつくってもらった新調の衣装(「お待ち受け」と称した)を着て実家を訪問したが、現在では新婚旅行から帰ってからお土産を持って訪ねるといったケースがほとんどである。夫婦いずれの実家にも同居しない場合は、夫の実家に1泊、妻のほうにも1泊するようにする。世話になった人々への挨拶回りも、このときしておく。
[石川朝子]
新婚旅行から帰ったら、すぐに結婚通知状を郵送する。披露宴に出席してくれた人にも送るべきである。新婚旅行のスナップ写真などを葉書にして出すのも、受けた人の心を和ませる。
[石川朝子]
和装の場合、新郎は五つ紋の紋付、羽織、袴(はかま)、新婦は打掛または振袖(ふりそで)が正装で、略装なら訪問着の色無地一つ紋などである。洋装だと、昼夜で正装は別のものになる。昼間の披露宴(式が午前中)の場合、新郎はモーニング(男性用昼間の通常礼装。上着は黒の無地で、ズボンは縦縞(たてじま))またはディレクター・スーツ(日本で生まれたフォーマル・スーツ)。新婦は白のウェディング・ドレスである。
[石川朝子]
わが国において花嫁衣装を白とする風習は室町時代からあり、白装束から挙式後3日目に色のある衣装に着替えることを「色直し」といった。陰陽(おんみょう)思想が発達し、結婚式にも「陰の式」と「陽の式」を行うようになり、「陰の式」のときには白い衣装、「陽の式」で色のある衣装に着替えた。それが今日の「色直し」である。
江戸時代には白は無垢(むく)を表し、それが死装束でもあったことから、生きてふたたび生家に戻らない覚悟で嫁ぐ、という強い意志を表した。打掛は、元来、上級武家の女性の礼服であり、掻取(かいどり)ともいった。なお、打掛、掛下(かけした)(着物)から帯まで、すべて白を用いるのが正式の装束であるが、打掛に金・銀の刺しゅうを施したものもある。振袖は町民の式服。白で式をあげ、色直しに色のある振袖を着、最後は、色に染まらず婚家に一生とどまるという意味から黒の振袖を着た。
最近は、打掛またはウェディング・ドレスで式をあげ、披露宴で振袖かイブニング・ドレス、カクテル・ドレスに色直しをする型がよくみられる。また最後に、婚家に嫁いだ既婚者としての意志表示のため、黒の留袖を着ることもある。
[石川朝子]
参列者は新郎・新婦の装いによって変わってくるべきで、主役より目だつのは差し控えたい。男性仲人の場合、新郎が和装なら紋付、羽織、袴、洋装なら昼間だとモーニングかディレクター・スーツ、夜はタキシードか燕尾服、カクテル・スーツを用いる。女性が和装で出席するときは、ミスとミセスで多少違ってくる。未婚者は振袖か中振袖、既婚女性なら留袖である。また、服装によってアクセサリーも変わってくるので注意が必要である。とくに出席者の服装で注意しなければならないのは、白いドレスは花嫁衣装の色だから、着ないのが礼儀であり、和装の場合は扇子を忘れてはならないことである。
[石川朝子]
婚礼は通過儀礼、冠婚葬祭の一環をなすもので、祝言(しゅうげん)ともよばれる。近来わが国で婚礼の中心をなすのは、(1)婚姻の約束を交わす婚約の式、(2)婚資の金品を相手側に贈る結納(ゆいのう)の儀、(3)婚姻の成立をさす「結婚式」、(4)婚姻を親族や友人たちに広く知らせ、社会的承認を求める披露、の各儀礼である。これらは全国的に認められるとはいえ、細部にわたっては地域による差異が著しい。それは、婚姻方式が、大きくは婿入り婚から嫁入り婚へ、村内婚から村外婚へと展開をみせ、妻方儀礼から夫方儀礼へと重点を移しつつも、なお各地に近年まで独特な習俗を伝承してきたためである。
婿入り婚は妻所(さいしょ)婚、妻訪(さいほう)婚ともいわれるように、妻方で婚姻生活を過ごすもので、婚礼も妻方であげられるのが古風であった。またその儀礼もきわめて簡素に済まされるのが通例で、同じ村内の知り合い同士、しかも恋愛に基づく結婚ならば、結納や披露の必要もなかったのである。一般に寝宿(ねやど)の主人や友人に伴われて新婿が妻側を訪れ、両親や親族と酒を酌み交わす初婿入りの式だけで、婚約ばかりか婚姻成立の儀も終わり、その晩から晴れて「妻問い」を始める風であった。この妻問いは長期にわたる例も少なくなかったが、やがて妻が夫方に引き移る際、夫方で盛大な嫁入りの式が開かれるのであった。
妻訪婚でありながら、当初の婚約、婚姻成立の儀礼を夫方であげる場合があった。伊豆諸島ではこのような方式が発達しており、新嫁が実母や親族の女たちとともに婿方に行き、そこで簡単な儀礼を営む習わしで、それを「足入れ」とよんだ。これが済めば新嫁は実家に帰ってしまい、その晩から正式に妻問いが始まる点は他の妻訪婚と同じであった。このような方式は、婿入り婚から嫁入り婚に変わる過渡的なものと考えられ、足入れ婚と名づけられている。
嫁入り婚になると、村外婚、遠方婚も珍しくなく、恋愛よりも見合いに特徴が認められた。そのため男女両家を結び付ける仲人(なこうど)の役割が重く、また婚約や結納の式が重視されるようになった。婚約には男側から女側に酒を届けることが多く、これを樽(たる)入れといい、また手締めの酒、固めの酒などともよんだ。その容器が角樽(つのだる)で、いまも全国各地に文化財として保存されている。嫁入り婚が普及するにつれ、さらに男側から女側に結納の金品を贈り、これでもって婚約の完了、確認とする観念も現れた。結納も元来は酒食を共同にする儀礼であり、婚姻によって両家がユイ、すなわち共同労働の関係に入るのだと説かれているが、このような原義は忘れられて、近来はもっぱら婚約の締結と考えられている。
嫁入り婚は夫所(ふしょ)婚ともいわれるように、夫方で婚姻生活を送るものであり、婚礼も夫方が重点を占めている。ところが嫁入り当日、朝婿入りといい、まず嫁方に婿を迎え、そこで祝宴を催す例が各地にみられる。これは、婿入り婚で初婿入りを重視した名残(なごり)とされている。嫁入り婚では、嫁が自家を出る際、婿方に入る際や、嫁入りの道中などにさまざまな儀礼がみられる。たとえば、出発にあたって長年使った茶碗(ちゃわん)を割るとか、入家にあたって火をまたぐとか、とかく呪術(じゅじゅつ)的な儀礼が少なくない。嫁入り行列では道中歌を歌い、「嫁御(よめご)ぞ」と嫁ばやしをするなど、華やかさを競う風であった。婿方では三三九度の夫婦杯(めおとさかずき)をはじめ、親子杯、親類杯など杯の儀を中心に酒宴となるのが一般であった。つまり婚姻成立祝いが披露宴を兼ねて行われたのであり、これこそ祝言と考えている者も多い。
嫁入り婚では、新嫁の社会的承認を求める意味で、儀礼を盛大に営む必要があった。婚礼直後に新嫁を氏神に参らせ、隣近所に挨拶(あいさつ)回りさせるような儀礼も、同じ意味で生まれたものである。こうして嫁入り婚の一般化に伴い、庶民の間にも、かつて武家の間で行われた小笠原(おがさわら)流作法が取り入れられ、婚礼は形式を整え、一面華美に流れていった。
[竹田 旦]
『酒井美意子他著『結婚と新家庭の百科』(1977・小学館)』▽『沢田隆司著『冠婚葬祭の心得』(1985・池田書店)』▽『小笠原清信著『結婚の礼式全書』(1982・池田書店)』▽『柳田国男著「婚姻の話」(『定本柳田国男集15』所収・1963・筑摩書房)』▽『『婚姻の民俗学』(『大間知篤三著作集2』所収・1967・岩崎美術社)』
婚姻に関する儀礼。結婚式。婚姻の多義性を反映して多様な形態をとり,またさまざまな過程を含んでいる。婚姻自体が生物的側面だけでなく社会的側面をもっているため,婚礼と性的結合は必ずしもつねに一致するとは限らない。婚姻はまた,本人の結合であるだけでなく,その家族などの関係者あるいはその所属集団を相互に結びつける契機でもある。さらに,社会全体が関与する場合もあり,どの部分に重点がおかれるかによって,婚礼への参加者の範囲や役割も異なってくる。たとえば,双方の親族が一堂に会して祝うこともあれば,花婿と花嫁の家でそれぞれの親族が,一方では〈別れ〉,他方では〈迎え〉の儀礼に立ち合い,別々に宴を張ることもある。また,現在の日本の都市での結婚式のように,婚姻成立の儀礼と披露宴という二つの要素の組合せで短時間のうちに終わるものもあれば,数多くの段階に分かれ,数年かけて行われるものである。幼児婚では,婚約と婚礼の区別がつけがたいものが少なくない。婚姻において花嫁代償などの経済的要素の比重が大きい場合には,当人どうしの同棲やその前後の儀礼と別に,支払いの完了に伴って行われる儀礼が婚礼の最後のもっとも重要な段階とみなされる。
ファン・ヘネップA.van Gennepは,人の一生を区分する通過儀礼に,分離,過渡,統合という過程が含まれていることを指摘したが,これは婚礼についてもいえる。分離には,たとえば,婚出に際して儀礼的に泣いたり,生家を出るとき茶碗を割ったり,台湾サイシヤト族の場合のように,嫁入りの際それまでの衣装を婿方の持ってきた衣装に着替えさせるもの,あるいは,花婿やその仲間が娘を無理やりに連れ去って,しばしば略奪婚と誤解される手荒なものまである。過渡の儀礼は,未婚から既婚への移行あるいは元の家族から新しい家族への移行などを象徴するもので,文字どおり火や水をまたいだり,門や敷居の通過に際して両側から張った糸を切るなどの形がある。もっと長期にわたる例として,ある種の婚約や奉仕婚,試験婚と称されているものも,当人どうしの個人的関係の成立から最終的な社会承認までの過渡期とみなすことができよう。統合の儀礼には,2人の結合だけでなく新来者を婚入集団の一員とみなすための儀礼も含まれている。糸で2人を結んだり,布をかぶらせたり,いっしょに食事するものなどがある。たとえば,漢人では花嫁が花婿の家に到着し,新房(新しい夫婦の部屋)で丸椅子に腰かけ団子を食べる行事がある。初めに自分の碗のを一つ食べ,交換してまた一つずつ食べるのは日本の三三九度の盃と同様の意味をもったものであろう。台湾のサイシヤト族では,近くの小川で花婿の親族の女性が,つる草に浸した清水を花嫁の顔へつける行事がある。こうした結合儀礼を終えても,異分子である婚入者はただちに完全な一員とみなされないこともある。韓国では,新婦は式後3日間台所に出入りせず,しゅうとめとともにあいさつまわりをするが,その地位が安定するのは男子を産んでからである。日本や中国にみられる式後3日目などの儀礼的里帰りも,広義の婚礼の統合の段階と解することも可能であろう。
婚礼には,このほか多産を予祝する豊饒儀礼や邪気をふせぐ予防儀礼が含まれていることも多い。韓国で嫁が夫の親族にあいさつする際,栗が与えられるのは,男子が産まれるようにという意味であり,日本でも地方によって嫁の腰を棒でたたくなど性的な仕草がしばしば含まれているが,これも多産を願う豊饒儀礼と考えられる。台湾漢人の間では,嫁入りに際し,八卦を朱書したふるまいを車の後にかけ,爆竹を要所で鳴らしながら花婿の家へ向かう。これは,悪鬼が嫁入り行列を妨害するのを防ぐためであるが,一方では花嫁自身も過渡の段階にあって身分的に不安定な境界人として危険性をもった存在とされ,とくに妊婦は出合うのをさける。婚礼はしばしば,完全な成人としての地位の承認とつながり,成年式と関連をもっていることが多い。中国や韓国では,かつての成年式としての冠礼がすたれるとともに,婚礼が一人前か否かの主要な基準とされるに至った。日本や韓国において,婿いじめ(韓国の東牀礼)のように新郎の仲間が婚礼に関与する風習がしばしば見受けられる。また,対馬のように成熟儀礼である烏帽子(えぼし)祝やかねつけ祝を盛大に行うのに反し,婚礼は酒1本で済ませていたような例もある。再婚や離婚の儀礼が,初婚の婚礼に比べ簡単なのは,当事者がすでに既婚者としての地位を有しているため,未婚から既婚へという身分の変動を伴わないことにもよると考えられる。
執筆者:末成 道男
婚姻の儀礼は婚姻の形態によりさまざまである。いわゆる婿入婚(妻方・夫方居住婚)では,すでに当事者間で約束された夫婦関係を公的に承認する意味の儀礼が中心となる。結婚の話がきまると婚姻成立儀礼として,夫が妻方におもむいて妻の親の盃をとりかわす〈ミキレイ〉などと呼ぶ婿入りの儀礼がある。この際婚姻当事者が女夫盃(めおとさかずき)をとりかわすことがないのが普通である。これにより婚姻は公的に承認されたことになり以後夫は妻訪(つまど)いし,何年か後に妻は夫方に引き移る。妻の夫方引き移りに際して祝言(しゆうげん)といって盛大に披露することもあるが,何もしない地域もある。婚姻成立祝を足入れなど呼び,妻が夫方におもむいて夫の親と盃をとりかわして以後妻訪いする足入婚も全国にみられた。嫁入婚の場合は,村外婚も可能であり,配偶者の選択には家長の権限が強く,当事者の自主性にまかされることは少なく,イエとイエとの関係が重視されたことなどによって,承認の目的をもつ婚姻儀礼はひじょうに重要であり,複雑にとりおこなわれてきた。
一般に嫁入婚の場合は,実質的な仲介者としての役割をもつ仲人がまずひじょうに重要であり,さらに種々複雑な婚姻諸儀礼に通じ,かつ両家のつり合いを保つためにふさわしい社会的地位が仲人の資格として要求されることもある。ことため形式的仲人を婚礼に際し別に依頼する場合もある。
配偶者の決定には,村外婚であれば見合いがおこなわれることが多いが,見合いはだいたい話がきまった段階でおこなわれた。話がきまるとキメザケなどと呼ばれる婚約成立儀礼があるが,これは夫が妻方に行き持参した酒をくみかわしておこなう。夫が行かず仲人や夫の近親者のみがとりおこなう場合もある。婿入婚の場合は,この盃事が婚姻成立儀礼であるが,嫁入婚では婚約より前の予約儀礼にすぎず,この後でおこなわれる結納が重要な婚約儀礼となっている。
嫁入り当日の昼間,一般にアサムコイリなどと呼ばれる婿入り儀礼がある。夫が妻方に行き妻の親と正式に対面し,親子のちぎりをむすぶ酒をくみかわすのである。このあと妻をともなって帰ることもあるが,妻より先にあわてて逃げ帰る習俗も広く分布し,ムコノクイニゲなどと呼ばれる。
女が家を出るときには,ふたたび生家にもどらないようにと,葬式の出棺のときと同様の呪術的儀礼(茶碗を割る,出たあとを箒(ほうき)ではくなど)がおこなわれる。アサムコイリや嫁入りの際,ソイムコ,ソイヨメと呼ばれる嫁婿に同行する同年輩の若者や娘がみられるところがある。夫方のむかえによって妻は花嫁行列をして夫方へ送り出されるが,その途中,中宿(なかやど)と呼ばれる家にたちより,休息したり,あるいはここで嫁としての受け渡しをする場合もある。嫁入り道具は花嫁行列と同時に運搬されることが多い。夫の家に入るとき,台所口から入る,入口で盃事をする,尻を打つなどさまざまな呪術的儀礼が広くおこなわれている。
夫方でおこなわれる婚姻成立儀礼の中心は,夫と妻との女夫盃,夫の親と妻との親子盃をおこなうことである。夫と妻が同じ器の食物,あるいは特定の食物をともに食べあう習慣も広く分布している。婚姻成立儀礼のあとひきつづき親戚,知人,隣人などを招いて披露宴がおこなわれ,さらに翌日は近所,婦人会などにあいさつしてまわるなど,妻として,イエの嫁として,また村外からの場合は村人としての承認を得るため何段階にもわたる儀礼がおこなわれる。嫁入り後3日あるいは5日後に里帰りがおこなわれるが,これが夫がはじめて妻方を訪れる日であるとする地域もある。このように嫁入婚は一時的に多様な意味をもつ儀礼がおこなわれており,その際小笠原流などの礼法の関与も大きい。
近年は都市,農村をとわず婚礼を公設,私設の結婚式場でおこなうことが多くなった。住宅の狭小さや婚礼の繁雑さが自家外に場を求めたと考えられるが,一方社会的承認の範囲の拡大や披露宴の目的の多様化が,披露の盛大さを必要とさせ,これが結婚産業を盛行させてもいる。結婚式場での婚礼は,神事と披露宴の2場面で構成されているのが普通で,婚入婚の際,夫方でおこなわれた女夫盃,親子盃の部分を,結婚式場に設置された神,仏などの宗教的対象をまつる祭壇前で誓うという形をとり,このあと披露宴がとりおこなわれる。このいわゆる神前結婚式は明治時代になってからはじまった新しい型である。婚礼のあと新婚旅行をおこなうのも最近の傾向である。欧米からの風習の影響とされ,明治時代からみられたが,一般化したのは第2次大戦後のことである。当事者どうしの結合を婚姻の第一義と考える傾向とむすびつくものと思われる。
→婚姻
執筆者:植松 明石
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…たとえば死を象徴する行為を伴ったり,旅に出たり,村から離れた別小屋にこもったりするのがそれである。日本の婚礼には,嫁ぐ娘が再び生家に戻ってこないように,娘の使っていた茶碗を割ったり,屋敷の入口にかかっている橋を落としたりする風習が見られるが,これらもこれまでの関係からの分離を強調する儀礼である。第2段階の過渡儀礼は,当事者がすでにこれまでの状態でなく,しかしまだ新たな状態にも入っていない,中間的で無限定な状態にあることを示し,来るべき生活に対処するための学習や修業に努めることが多い。…
…【網野 善彦】
[民俗]
一般には引物(ひきもの)ともいい,特に土産(みやげ)にもたせるため膳に添えて出す肴や菓子の類を呼ぶ。今日ではことに婚礼披露の際の贈物に対していう場合が多く,慶事の品のようにみられがちであるが,法事などに出される土産の品も引出物の一つである。祝儀(しゆうぎ)や被物(かずけもの)との区別もあいまいであるが,引出物は饗宴に伴った贈物であり,菓子類など食べ物が多いのも,これを持ち帰らせてその家族などにも共食の効果を広げようとしたところに祝儀や被物との違いがある。…
※「婚礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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