充糧碑(読み)じゆうりようひ

日本歴史地名大系 「充糧碑」の解説

充糧碑
じゆうりようひ

日吉神社境内にある方一九センチ、高さ一〇四センチの石碑で、碑文に「充糧碑 課民種柿至三千四十六株 文政庚寅春三月立」とある。文化一〇年三次・恵蘇両郡の代官となった頼杏坪は、両郡のはなはだしい疲弊が重税にあるとみて(三次恵蘇郡地合救方愚考)、根本的解決には免下げが必要であると考えた。当面は頻発する飢饉に対処するため、文政二年(一八一九)から山内組の各村(尾引・木戸・上・下など一七村)に柿を植えさせ、ついに三千本余に達した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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