先市原村
せんいちはらむら
[現在地名]大田市久利町市原
赤波村の東に位置し、北流する銀山川左岸の段丘面に立地する。右岸の今市原村とともに市場集落として成立したとみられるが、その起源は中世豪族の屋形集落との関係か、石見銀山開発との関係かは明らかでない。中世は久利郷市原村に含まれた。正保国絵図に村名がみえ、高一二八石余。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によると田方九三石余・畑方三五石余、年貢高は米五五石余・銀二七九匁余。家数は本家・門屋各一三、人数八五。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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