日本歴史地名大系 「大田市」の解説 大田市おおだし 面積:三三二・六九平方キロ島根県のほぼ中央部に位置し、東は簸川(ひかわ)郡多伎(たき)町・佐田(さだ)町、南は飯石(いいし)郡頓原(とんばら)町、邑智(おおち)郡邑智町・川本(かわもと)町、西は邇摩(にま)郡仁摩(にま)町・温泉津(ゆのつ)町、北は日本海に面する。石見三田とよばれる大田市・浜田市・益田市の最東部に位置する。市域は南東部の男三瓶(おさんべ)山(親三瓶山、一一二六・二メートル)を主峰とする三瓶山を中心に大山隠岐国立公園に含まれ、三瓶山の自然林は国指定天然記念物となっている。中国山地の山間を水源とする波根(はね)川・江谷(えたに)川(刺鹿川)・三瓶川(大田川)・静間(しずま)川などが北流、または西流し、下流域にわずかな平地を形成する。日本海沿岸の静間町近藤(こんどう)ヶ浜はハマナスの自生西限地となっている。海岸沿いをJR山陰本線が通り、市域内には東から波根・久手(くて)・大田・静間・五十猛(いそたけ)の五駅がある。大田駅以外は現在無人駅。また山陰本線にほぼ並行して国道九号が通り、長久(ながひさ)町長久で国道三七五号を分岐するなど、中国山地の山間の集落へ向かって幾つもの交通路が南下している。市名は「和名抄」の安濃(あの)郡邑(おおだ)郷に起源をもち、昭和二九年(一九五四)の市制施行にあたり旧大田町の町名をそのまま継承した。近世は安濃郡全域と邇摩郡東半部に含まれ、邑智郡と出雲国神門(かんど)郡の一部が当市域にかかる。〔原始・古代〕大田町野城(のじろ)地区の三瓶川河岸段丘上にある夏焼(なつやけ)遺跡では縄文時代後期後半の磨消縄文土器・磨製石斧・叩石などが採集されている。また旧波根湖の東にある波根川(はねがわ)遺跡(波根町上川内)でも同類の磨消縄文土器が出土していることなどから、縄文時代後期には市域の各所に小規模な縄文集落が点在したとみてよいであろう。それ以前の遺跡の所在については、紀元前三千年頃に降下したとされる三瓶山の厚い火山灰層に覆われているため検出が難しく、今後の徹底した調査に期待するところが大きい。弥生時代になると三瓶川・静間川下流沖積地に規模の大きな集落が営まれるようになる。代表的な遺跡である土江(つちえ)遺跡(長久町土江)は、静間川に架かるJR山陰本線鉄橋付近一帯に中心があったとみられているが、同遺跡からは前期・中期の弥生土器をはじめ磨製石器・凹み石・土錘、木製鍬らしき遺物などが発見されており、ほかに土師器・須恵器も出土している。遺跡は約二平方キロの範囲に広がると推定され、当市域の古代の一中心となる集落が営まれていたと考えられる。同遺跡の約一キロ南にある八日市(ようかいち)遺跡(静間町八日市)も弥生時代から始まる大規模な低湿地集落跡の可能性がある。 大田市おおだし 2005年10月1日:大田市と邇摩郡仁摩町・温泉津町が合併⇒【大田市】島根県⇒【仁摩町】島根県:邇摩郡⇒【温泉津町】島根県:邇摩郡 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大田市」の意味・わかりやすい解説 大田〔市〕おおだ 島根県中部,日本海に臨む市。 1954年大田町,久手町の2町と波根東村,鳥井村,長久村,川合村,久利村,静間村の6村が合体して市制。同年佐比売村,朝山村,山口村,富山村の4村,1956年大森町と五十猛村,大屋村,祖式村の3村を編入。 2005年温泉津町,仁摩町の2町と合体。静間川の谷口集落として興り,中世には牛馬の市場町,山陰道の宿場町として発展。かつては浜田,益田とともに「石見の三田」といわれ,石見地方東部の産業,交通の一中心地。集約的酪農振興地域指定地となって以降は,県下有数の酪農地域でもある。大山隠岐国立公園に属する南部の三瓶山を中心とした観光開発と農業振興に力を入れている。西部の大森はかつての石見銀山の所在地で,石見銀山遺跡として国の史跡に,また大田市大森銀山として国の重要伝統的建造物群保存地区にそれぞれ指定されている。石見銀山の積出港として栄えた南西部の温泉津も国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され,温泉津温泉があり,焼き物で知られる。「鳴り砂」の砂浜で名高い琴ヶ浜のある仁摩周辺では,近海漁業が盛ん。波根西のケイ化木,松代鉱山の霰石産地,三瓶山自然林,三瓶小豆原埋没林はいずれも国指定天然記念物。三瓶山南麓に三瓶温泉があるほか,近くに小屋原温泉,小林温泉などがある。 JR山陰本線,国道9号線,375号線が通じる。面積 435.34km2。人口 3万2846(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by