日本歴史地名大系 「光信村」の解説 光信村みつのぶむら 広島県:神石郡三和町光信村[現在地名]三和町光信高蓋(たかふた)村の東にあり、東は上(かみ)村に囲まれる谷あいの村。中世は志摩利(しまり)庄に含まれており、地名は名田の名を引継ぐものであろう。小字に五反田(ごたんだ)・行竹(ゆきたけ)・竹貞(たけさだ)・南迫(みなみさこ)・日南(ひな)・中(なか)ノ坪(つぼ)・半田(はんだ)・日本迫(にほんざこ)・堀切(ほりきり)・神子(みこ)ヶ峠(たお)などがある。元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「光延村」(高一四三石余)とみえ、「寛文朱印留」でも同表記。元禄一三年(一七〇〇)の備前検地帳以降光信村(高二五六石余)となる。福山藩水野家断絶後は幕府領、享保二年(一七一七)以降豊前国中津藩領。谷の北端に城(じよう)山とよばれる山があり、城跡が認められる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by