入野浦(読み)いりのうら

日本歴史地名大系 「入野浦」の解説

入野浦
いりのうら

[現在地名]大方町入野

入野村にあった浦分。宝暦一二年(一七六二)に成立。「西浦廻見日記」は、浦の成立とその後の推移について「宝暦十二年より浦を立たり、入野大庄や永野左近右衛門といふ、かれが親藤蔵願ひて弟茂右衛門此の浦長となれり、浦人拾九軒、地挽網十二帖有、されど二三年来無漁にて窮せりとぞ、今年鞭村と共に塩焼事を願ひ出てうけたまはりぬ」「浦老茂右衛門云、若き時迄ハ荒地多かりしが、新浦出来てより舟に乗組て渡世する故取つづく者有、暮に切手百石余し入るる上に、いわしごゑにて作る故作もよろしく、其故田もひらけてハ今ハ少の地もあれず、家居もあしく床したる家なかりしが居宅をよくなれりとぞ、すべて地挽十弐帖なれハ一艘ニ拾四五人も乗るもの故、百六七十の人なけれハならず、浦分ニハ其人なし、されハ郷分の人やとハれてのる故、其分是非切手入ること也云々、児島といふ島かけ廻船かゝり場也、保佐木なと積所也、其所ハ田野浦入野の境」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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