八多庄(読み)はたのしよう

日本歴史地名大系 「八多庄」の解説

八多庄
はたのしよう

有野ありの川支流の八多川と淡河おうご川支流の屏風びようぶ川流域を庄域とした実相じつそう(現京都市左京区)門跡領。上・下二郷からなっていた有馬ありま幡多はた(和名抄)のうち下幡多しもはた郷に成立した庄園とみられ、はた庄とも記す。近世には深谷ふかたに上小名田かみおなだ・下小名田・なか吉尾よしお柳谷やなぎだに附物つくもの屏風草下部くさかべ(日下部)村を八多庄九ヵ村と称した(元禄一四年「山論裁許状」大堂家文書)。仁平元年(一一五一)六月に供養が行われた高陽院(泰子、鳥羽法皇皇后)御願で白川しらかわ(現京都市左京区)にあった福勝ふくしよう院の丈六九体阿弥陀仏造営に関すると思われる文書(京都大学蔵兵範記仁安二年巻裏文書)に「八多」とみえ、阿弥陀像の座料一体分と葩用の木を負担している。なお建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば、「摂津国八多はた庄」はもと冷泉宮(小一条院敦明親王の娘子内親王)領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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