八重洲町二丁目(読み)やえすちようにちようめ

日本歴史地名大系 「八重洲町二丁目」の解説

八重洲町二丁目
やえすちようにちようめ

[現在地名]千代田区丸の内(まるのうち)一―二丁目

明治五年(一八七二)に成立。北は永楽(えいらく)町一丁目、西は八重洲町一丁目、南は有楽(ゆうらく)町二丁目、東は外堀に限られ、南東の鍛冶(かじ)橋で京橋方面へ通じる。江戸時代は大名(だいみよう)小路の一画で鍛冶橋御門内(かじばしごもんない)と通称。寛永期(一六二四―四四)には筑後久留米藩有馬家や丹後宮津藩京極家などの上屋敷、阿波徳島藩蜂須賀家中屋敷・美作津山藩森家下屋敷などがあった(寛永江戸図)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ガラス管球内に入れた高抵抗線に電流を流し,ジュール熱によって高温となり放射する光を利用するもの。抵抗線としてはタングステンが用いられ,その蒸発を防ぐためアルゴンおよび窒素ガスが管内に約 0.7気圧封入...

白熱電球の用語解説を読む