改訂新版 世界大百科事典 「坊城家」の意味・わかりやすい解説
坊城家 (ぼうじょうけ)
藤原氏北家高藤の流れ,勧修寺(かじゆうじ)庶流。勧修寺定資の男権中納言従二位俊実(1296-1350)を始祖とし,その子俊房より居所にちなんで坊城(小川坊城)と号した。しかし1540年(天文9)俊名の没後断絶し,94年(文禄3)贈内大臣勧修寺晴豊の三男俊昌が再興。家格は名家。大納言を極官とした。江戸時代,いわゆる宝暦事件に連座して辞官・落飾した俊逸は有名。その孫俊明および曾孫俊克はともに幕末に至って武家伝奏を務め,条約勅許,将軍継嗣問題や水戸降勅事件,さらに和宮降嫁など朝幕関係に奔走し,俊克の弟俊政およびその子俊章は維新政府の要職にあり,1884年華族令の施行により俊章は伯爵を授けられた。なお江戸時代の家禄は180石である。
執筆者:米田 雄介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報