朝日日本歴史人物事典 「六字南無右衛門」の解説
六字南無右衛門
江戸前期の女浄瑠璃太夫。河内や山城左内(若狭守吉次)らが活躍したころ,左門,「よしたか」などの女太夫らと共に四条河原で浄瑠璃を語った。「浄瑠璃御前物語」(「十二段草子」)ばかり語るのでは新鮮味がないと,舞の「八島」や「高館」「曾我」などを浄瑠璃節で語り始めたともいう。寛永6(1629)年,女性の芸能者は歌舞伎,浄瑠璃を問わず大舞台に出ることを禁じられたが,同16年に「山城国住人六字南無右衛門」と銘打った,女太夫の正本としては現存唯一の「やしま」を上梓しており,一頭地を抜く存在であった。西鶴は「浄瑠璃やいかなる風の末の段 念願六字南無右衛門とて」と詠み,また「六字南無右衛門節の浄るりを語るも有」と書くなど,南無右衛門節に関心を寄せていた。<参考文献>横山重『古浄瑠璃正本集(1)』解題
(安田富貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報