芸能(読み)ゲイノウ

デジタル大辞泉 「芸能」の意味・読み・例文・類語

げい‐のう【芸能】

映画・演劇・落語・歌謡・音楽・舞踊など、主に大衆演芸向けの娯楽の総称。「古典芸能」「芸能人」
学問・芸術・技能などについてのすぐれた能力。
「社会上の地位は何できまると云えば…第三には―で極る場合もある」〈漱石・野分〉
教養として身につけなければならない学問・芸術などの技芸。礼・楽・射・御・書・数の六芸りくげいのほか、詩歌・書画・蹴鞠しゅうきくなど。
生花・茶の湯・歌舞音曲などの芸事。
[類語]演芸演技芸道一芸遊芸芸事話芸大道芸

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精選版 日本国語大辞典 「芸能」の意味・読み・例文・類語

げい‐のう【芸能】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 学問、芸術、技能など、貴族やりっぱな人物が教養として身につけていなければならない各種の才芸、技芸。礼・楽・射・御・書・数の六芸(りくげい)を中心に、詩歌・書画などの文学芸術、雅楽・猿楽・神楽(かぐら)・催馬楽(さいばら)などの歌舞音曲、蹴鞠(しゅうきく)流鏑馬(やぶさめ)・囲碁などの遊戯を含む。
    1. [初出の実例]「吉備大臣入唐習道之間、諸道芸能博達聰慧也」(出典:江談抄(1111頃)三)
  3. 学問、芸術、技能などについてのすぐれた能力。芸に長じた才能。また、芸事の技能。
    1. [初出の実例]「医疾令云。凡国医生。業術優長。情願入仕者。本国具述芸能。申送太政官」(出典:令集解(718)職員)
    2. 「二十四五。この比、一期のげいのふの、定まる始めなり。さる程に、稽古の堺なり」(出典:風姿花伝(1400‐02頃)一)
    3. [その他の文献]〔史記‐亀策伝〕
  4. 生け花、茶の湯、歌舞音曲などの芸事。遊芸。
    1. [初出の実例]「次巡事施各芸能、頭中将今様、下官朗詠、以下人々又朗詠」(出典:兵範記‐仁安二年(1167)一一月一五日)
  5. 映画、演劇、歌謡、落語、音楽、舞踊、民俗芸能など大衆的演芸の総称。
    1. [初出の実例]「およそ、彼は芸能の方面に、無知識であって」(出典:自由学校(1950)〈獅子文六〉自由を求めて)

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改訂新版 世界大百科事典 「芸能」の意味・わかりやすい解説

芸能 (げいのう)

芸術諸ジャンルのうち,人間の身体をもって表現する技法と形の伝承をいう。音楽,舞踊,演劇,演芸などの類がそれである。これらは時と場所を限定した瞬時の演技演奏によって表され,それがただちに消滅するので瞬間芸術とも呼ばれるが,近代には録画,録音の機械技術が発達し,映画,テレビ,ラジオ,レコードなどの媒体を通しての作品をも芸能と呼ぶようになった。

芸能は元来,芸と能の熟語であった。古代中国の《礼記》《論語》などに見える芸は才技,技術,学習などの意で,《周礼》にいう六芸(りくげい)は,周代官人のまなんで備えるべき礼,楽,射(弓術),御(馬術),書,数に関する学問やわざを意味した。また能は《周礼》《荀子》などによれば,よく事をなしうる才力,才芸の意で,そして司馬遷の《史記》ではこれが熟語となって学問にかかわる技術や能力の意味で用いられた。日本での初見は,大宝律令の医疾令で,典薬寮に登用する医生の学問的才能を芸能と称したが,以来,学問,武術,美術,歌舞音曲,遊戯等々広い分野にわたって,修練によって体得した人それぞれのわざと能力を芸能と呼ぶようになった。鎌倉時代,木工や鋳物師など手づくり職人たちの技術を芸能と呼んだ(《東寺百合文書》)のもその例で,修練のわざを意味する芸能と下級荘官の職能,手工業者の技術などをいう(しき)とは意味の点では共通していた。その芸能が歌舞音曲を特にさすようになった古い例は,すでに平安時代の大江匡房の《江談抄》や平信範の《兵範記》などにみられるが,室町時代以降その傾向が強まり,江戸時代には連句,詩歌,茶の湯,花,蹴鞠(けまり)などを含めた遊芸的なわざをもっぱらいうようになった。一方,芸の法則といった意味をもつ芸術の語が古く平安初期の《続日本紀》に見え,江戸時代これが卑賤の芸の意に用いられることもあったが,明治時代にこれを英語のartやドイツ語のKunstの訳語に用いてからは,欧米的な見方からする創作性ゆたかな技芸を芸術と呼び,伝承性を重んじる伝統的かつ民俗的な技能を芸能といい分ける傾向が生まれた。

日本の芸能は村々における神祭りの場を母胎として花をひらいた。《古事記》や《日本書紀》所載の天の岩屋戸(あまのいわやど)における天鈿女(あめのうずめ)命の演じた俳優(わざおぎ)は,冬至のころ人と自然の生命力を更新させるために,植物を身につけた巫者が神がかりして鎮魂の所作や託宣を行った古代のシャマニズム儀礼の形を示している。大和朝廷では猿女(さるめ)氏や物部(もののべ)氏がこれを行い,のち芸能化して神楽かぐら)の基を作った。大嘗祭に催された琴歌神宴(きんかしんえん)や平安朝中期以来12月の恒例行事となった内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)などがそれである。また《風土記》《万葉集》に見える歌垣・嬥歌(かがい)は,春の耕作始め,秋の収穫祝いの祭事として男女が山に登り,歌を応酬したもので,のちに中国の正月儀礼の踏歌(とうか)と習合して宮廷の芸能となる。

 祭りの場の歌舞をいち早く芸能化したのは6,7世紀以来急速に国家体制を固めるようになった大和朝廷で,隼人(はやと),国栖(くず)など諸国の部族が服従のしるしに献(たてまつ)った歌舞が逐次宮廷の儀式に演ずる華麗な風俗舞(風俗(ふぞく))として定着するようになった。記紀の海幸・山幸(うみさちやまさち)説話に見えるウミサチヒコがヤマサチヒコの前で溺れるさまを演じたという所作などは,宮廷の祭儀の折に行った隼人族の風俗舞のすがたを伝えるものである。またこの時代,允恭天皇の大葬に新羅(しらぎ)王が楽人(うたまいびと)80人を献ったとの《日本書紀》の伝えのあるのをはじめ,612年(推古20)には百済(くだら)人によって中国の伎楽がもたらされ,さらに中国の舞楽や散楽が次々に伝来して宮廷および周辺の寺院などの歌舞は一挙に華麗なものとなった。701年(大宝1)には雅楽寮の制が成り,外来楽を基盤としての楽人,舞人の養成が国家的規模で行われ,平安時代には管絃,舞楽(雅楽)が宮廷や大寺の儀式に欠かせぬものとなった。

 また,散楽は曲芸,幻術,物真似などを含み宮廷の饗宴の余興にも演じられたが,また民間にも流布して,猿楽(さるがく)と呼ぶ芸能を生んだ。平安中期に著された藤原明衡の《新猿楽記》には,猿楽を専業とする芸人が京の稲荷祭の雑踏の中で滑稽猥雑な寸劇や曲芸,さらには傀儡(くぐつ),田楽(でんがく)などの芸も演じて人気を博したとあるが,傀儡は人形まわしで,当時これを中心に歌舞,幻術,曲技などをもって各地を巡回する芸能集団も別にあった。また田楽は元来田植の祭事に演じられたお囃子で,太鼓,編木(びんざさら)主体の野性的な音楽の魅力が人気を呼び,やがて猿楽にも取り入れられ,またこれを主体に演ずる田楽法師と称する専業芸能者が生まれた。田楽法師たちは囃子,舞踊,曲芸,さらに猿楽能をも取り入れ総合した田楽能を創造したので,鎌倉時代には猿楽と相拮抗(きつこう)する舞台芸能にまで成長した。しかし室町時代に入り,猿楽を幽玄美を旨とする一大楽劇に昇華させた世阿弥らの出現により人気を奪われ,地方寺社の祭礼芸能として命脈をとどめるのみとなった。猿楽は,その後,狂言の二種を並存させながら幕府の式楽としての道をあゆむ。

 その間,諸寺院では僧侶たちによる延年(えんねん)の芸能が行われ,民間では白拍子(しらびようし),曲舞(くせまい),幸若舞(こうわかまい)などの遊行芸能者による歌舞や,極楽往生を願う民衆が念仏を唱えつつ群舞する踊念仏,さらには若い男女が華麗な衣装と小道具を誇示して踊る風流踊(ふりゆうおどり)(風流)などが流行した。長い戦国の争乱ののち,徳川幕府が成立したのは1603年(慶長8)であったが,この年京の河原で名のりを挙げた出雲のお国の歌舞伎踊には,それら踊念仏や風流踊などの要素が多彩に取り込まれていた。当初女性主体の歌舞伎踊は29年(寛永6)風俗紊乱(びんらん)のかどで少年主体の若衆(わかしゆ)歌舞伎に変わり,さらに52年(承応1)以後は成人男子中心の野郎(やろう)歌舞伎に変わって,以後演劇色を強めるに至る。この歌舞伎と人気を争ったのは傀儡以来の伝統をもつ人形芝居で,江戸初期,それまで夷(えびす)神の御神体としての人形をまわすことを職としていた芸能者が,沖縄から伝来した三味線を弾きながら語る浄瑠璃に目をつけ,これを伴奏に人形を舞台でまわす演出を考案し,民衆の喝采を得た。のち作者に近松門左衛門ら,語り手に竹本義太夫らを得て人形浄瑠璃は芸術化し,今日の文楽に至る。一方,舞台化の機会をもたぬ人形まわしはなお諸国を遊行して夷まわしなどの名を今日に残す。

 古来,日本では,他界神遊行の信仰を基盤に,神の資格を負う芸能者が村々を漂泊し,門口や大道で祝賀のわざを演じる風があり,そのため万歳太神楽猿回し鳥追など諸芸人が各地を巡回し,村々への芸能供給に貢献した。また,各地域社会では,これら職業芸能者の影響をこうむりながらなお地域ごとの芸能の成育に歴代心を尽くし,四季折々の祭りや家ごとの集会に日ごろ修練の芸を披露し,そのことで生活の安息,繁栄を祈った。民俗芸能と呼ばれるものがそれで,全国に数多く伝承される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「芸能」の意味・わかりやすい解説

芸能
げいのう

演劇、舞踊、音楽、歌謡、民俗芸能、映画、大衆演芸などを総称して便宜的に用いられることが多いが、その概念はかなりあいまいで、時代によっても異なり、定義づけることはむずかしい。現代では、人々の娯楽的要求にこたえて演ずる「芸」をさす。

 芸能は、もと中国のことばで、一般に修得した才芸、伎芸(ぎげい)、技能の意であった。『史記』(亀策(きさく)列伝)には「博(ひろ)く芸能の路(みち)を開き、悉(ことごと)く百端(百家)の学を延(あまね)くす」とある。中国では芸は実践すべきものとし、「六芸(りくげい)」と称して、礼(礼儀作法)、楽(歌舞音楽)、射(弓術)、御(ぎょ)(馬術)、書(学問)、数(算術)を芸能とした。わが国でも中古から中世にかけて、漢詩、和歌、俳諧(はいかい)、雅楽、猿楽(さるがく)、神楽(かぐら)、催馬楽(さいばら)、朗詠、今様(いまよう)、宴曲(えんきょく)、笛、琴、鼓、蹴鞠(けまり)、流鏑馬(やぶさめ)、犬追物(いぬおうもの)、双六(すごろく)、囲碁などを芸能の分野に入れていた。世阿弥(ぜあみ)は『風姿花伝(ふうしかでん)』のなかで、「そもそも芸能とは、諸人の心を和らげて上下の感をなさん事、寿福増長の基、遐齢延年(かれいえんねん)の法なるべし」と芸能の奥義と効能を述べている。しかし、戦国時代には芸能は武士に迎えられず、近世にも武士の間ではあまり喜ばれなかった。

 近世になると芸能は歌舞音楽に関するものが中心となり、職業的芸能人が続出するようになった。そのため芸能という用語の範囲が狭められていった。明治に入ってからは芸能教育が消極的になり、学校教育に西洋の唱歌や楽器類は採用されても、日本の伝統芸能が用いられることはほとんどなくなってしまった。第二次世界大戦後は、芸能が著しく解放され、学校でも芸能科という課程が設置されて、美術、書道、音楽、工作などがこのなかに入れられた。また、マスコミの世界では芸能が重要視され、いわゆる芸能人がもてはやされるようになった。一方、学問研究の分野でも、芸能に関する文献を渉猟したり、整理考証する作業が進められ、芸能や芸能史の研究に従う学徒が増加。そして芸能研究の学会も組織され、芸能文化にかかわる学術的な専門研究書や雑誌が盛んに出されるようになっている。

[関山和夫]

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普及版 字通 「芸能」の読み・字形・画数・意味

【芸能】げいのう

技芸と学術。〔後漢書、方術伝序〕中世張衡、陰陽の宗爲(た)り、は咎(きうちよう)最も密なり。餘も亦た班班たる名家なり。其の徒に亦たるも、未だ必ずしも能を體極せず。

字通「芸」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芸能」の意味・わかりやすい解説

芸能
げいのう

本来は芸術と同義語。身についた芸,からだで修得した技術,技能,あるいはそれを実際に駆使できるわざ,働きをさす。したがって中世では,中国の六芸の考え方を受けて,芸能は貴族の教養として必須であったが,近世に入って次第に武術も芸能化した。一方,生産に従事する民間では,五穀豊穰,共同体の繁栄を願って神に奉納された芸能から,今日のいわゆる民俗芸能が伝承され,またそのなかから,階級の埒外にいて芸能を専門の業とする職業芸能人が生れてきた。近代に入って,artの訳語として「芸術」という言葉が定着するにつれ,現代演劇,西洋音楽,洋舞など,ヨーロッパ文化の影響下に成立したものは芸術として区別され,能,歌舞伎,人形浄瑠璃,音曲などの伝統芸能と,落語,講談,漫才,流行歌謡,奇術,軽業 (かるわざ) その他のいわゆる大衆芸能とを意味するようになった。

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世界大百科事典(旧版)内の芸能の言及

【演芸】より

…公衆の面前で芸人によって演じられる諸芸の総称で,芸能とほとんど同じ意味で使用されてきた。演芸という言葉が一般化した明治から大正にかけては,歌舞伎を中心とする演劇および下座音楽を使った寄席(よせ)でおこなわれた演芸に対して用いられていたが,今日では演劇以外の雑芸を指す言葉として使われるのが普通で,〈演劇〉と区別されている。…

【庭】より

…広場。狩庭(かりば∥かりにわ),網庭,稲庭,草庭,塩庭など,狩猟,漁労,稲作,草刈り,製塩などを行う場所,軍庭(いくさば),市庭(いちば),売庭(うりば),乞庭(こつば),舞庭(まいば),さらに〈祭りの庭〉や〈講の庭〉のように戦闘,交易,芸能,仏神事の行われる場所は,みな庭であった。自然のある部分を庭にする場合,後年のことであるが,関料(せきりよう)の一種〈庭銭(にわせん)〉が初穂であったことからみて,人はあるいは初穂をささげ,また狩りや市の祭文(さいもん)にみられるように,神事を行ったのである。…

【道々の者】より

…さまざまな〈芸能〉に携わる者。〈道々の輩〉〈道々の細工〉などと同様,〈道々〉は専門の方法,方面,技術などを意味する〈道〉の畳語で,〈諸道〉ともいわれ,〈諸職〉〈職人〉〈諸芸〉〈芸能〉などの語と密接な関係にある。…

※「芸能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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