兵主郷(読み)ひようずごう

日本歴史地名大系 「兵主郷」の解説

兵主郷
ひようずごう

五条ごじよう鎮座する兵主神社の氏子圏(神領を基盤として成立か)を中心とした郷で、現中主町全域と守山市東部を含んだとみられる。史料上は兵主社・兵主庄ともみえる。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院所領目録(島田文書)に御祈願所に充てられた御領として「近江国兵主社」とみえる。元応元年(一三一九)の「日吉社領注進記」によれば「兵主社内時任名」は、正治年中(一一九九―一二〇一)に後高倉院守貞親王が寄付し、申日御供料所として権禰宜成貫が五代にわたり相伝知行してきたが、注進記の頃に源覚律師の知行となり神用が欠如してしまったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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