横川景三(読み)オウセンケイサン

デジタル大辞泉 「横川景三」の意味・読み・例文・類語

おうせん‐けいさん〔ワウセン‐〕【横川景三】

[1429~1493]室町中期臨済宗の僧。播磨はりまの人。別号小補・補菴。五山文学代表者。著「小補東遊集」「補菴京華集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「横川景三」の意味・読み・例文・類語

おうせん‐けいさんワウセン‥【横川景三】

  1. 室町中期の臨済宗の僧。播磨の人。号を小補、補庵という。幼い頃京都相国寺に入り、曇仲道芳(どんちゅうどうほう)師事漢詩文にすぐれ、五山文学を代表する一人詩文集に「東遊集」「京華集」など。永享元~明応二年(一四二九‐九三

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改訂新版 世界大百科事典 「横川景三」の意味・わかりやすい解説

横川景三 (おうせんけいざん)
生没年:1429-93(永享1-明応2)

戦国初期の五山文学の禅僧(臨済宗)。万年村僧,小補,補庵の別号も用いる。播磨(兵庫県)に生まれ,4歳で京都相国寺常徳院の英叟につく。1441年(嘉吉1)英叟の法兄の竜淵に参じ,同年3月,曇仲道芳の三十三回忌に墓塔を拝して弟子となる。文学僧曇仲の法系を存続させるはからいであった。67年(応仁1)8月には桃源瑞仙とともに応仁の乱を避けて近江(滋賀県)市村滋雲寺や永源寺竜門庵に居住した。近江ではのちに識廬庵を建てた小倉実澄や野洲の永原吉重らと親交をもった。72年(文明4)春に京都に出,その後,細川勝元の援助で常徳院のそばに小補軒を建てた。78年等持寺,80年と85年に相国寺,87年(長享1)南禅寺住持となり,将軍足利義政より金襴の袈裟を贈られている。88年またも相国寺の住持となり,91年(延徳3)臨川寺三会院に入り,義政の懇請に応じて,92年(明応1)には鹿苑院に入り,同院塔主兼帯の僧録を務めた。漢詩文は瑞渓周鳳から学び,散文が得意で,詩文集に《補庵京華集》《小補東遊集》などがある。これらには細川氏一門や伊勢貞宗,近江の武士などとの交流のことがみられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「横川景三」の意味・わかりやすい解説

横川景三
おうせんけいさん
(1429―1493)

室町中期の禅僧。号を小補、補庵(ほあん)という。播磨(はりま)(兵庫県)の人。4歳で相国寺(しょうこくじ)常徳院に入り、13歳のとき曇仲道芳(どんちゅうどうほう)(1367―1409)の法を嗣(つ)いだ。曇仲は名利に執せず文筆に優れた僧であった。横川もまたこの態度で一生を貫いた。38歳のとき応仁(おうにん)の乱を避けて近江(おうみ)に移ったが、このころにはすでに詩文僧として名が高まっていた。44歳で帰京後は足利義政(あしかがよしまさ)の信頼を受け、相国寺鹿苑院塔主(ろくおんいんたっす)の位にまでつき僧録をつかさどることもあった。明応(めいおう)2年65歳で没するまで詠作した詩文の数は膨大で、『小補集』『補庵集』『小補東遊集』『補庵京華(けいか)集』等がある。

[中本 環 2017年5月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横川景三」の解説

横川景三 おうせん-けいさん

1429-1493 室町時代の僧。
永享元年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都相国寺(しょうこくじ)常徳院の英叟(えいそう)につき,曇仲道芳(どんちゅう-どうほう)の三十三回忌を機に曇仲の法をつぐ。応仁(おうにん)の乱で近江(おうみ)にうつり,豪族小倉実澄(さねずみ)とまじわる。のち相国寺,南禅寺の住持。五山文学の中期を代表する文筆僧のひとり。明応2年11月17日死去。65歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。号は小補,補庵。著作に「補庵集」「小補東遊集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横川景三」の意味・わかりやすい解説

横川景三
おうせんけいさん

[生]永享1(1429).播磨
[没]明応2(1493).11.17. 京都
室町時代後期の臨済宗の詩僧。五山文学者の一人。安国寺の龍淵に師事し,応仁の乱で近江の飯高山に移って詩文を講じ,のちに足利義政の招きで等持院住持となり,相国寺,南禅寺に住んで将軍の崇拝を受けた。主著『京華 (けいか) 集』 (13巻) ,『東遊集』 (3巻) 。

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旺文社日本史事典 三訂版 「横川景三」の解説

横川景三
おうせんけいさん

1429〜93
室町中期の臨済宗の僧。五山文学者
播磨(兵庫県)の人。8代将軍足利義政に招かれ,相国 (しようこく) 寺・南禅寺の住持を歴任。五山文学の正統派として漢詩文に長じ『京華集』7巻を著す。これは義堂周信の『空華日工 (くうげにつく) 集』,虎関師錬の『済北集』などとともに五山文学の代表作とされる。

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