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横川景三 おうせん けいさん

美術人名辞典の解説

横川景三

室町後期・戦国時代臨済宗の僧。南禅寺239世。相国寺79世。播磨生。横川は道号景三は法諱、別号に小補・補庵・金華等。初め相国寺常徳院英叟に就き、安国寺竜淵本珠、曇仲道芳に嗣法。応仁の乱には桃源瑞仙と共に近江慈雲寺・永源寺竜門庵に避難、識蘆庵の歌人小倉実澄と親交を結ぶ。等持寺住持を経て相国寺・南禅寺に昇住、鹿苑院僧録司を務め、室町幕府の外交・文芸の顧問として活躍した。明応2年(1493)寂、65才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

横川景三 おうせん-けいさん

1429-1493 室町時代の僧。
永享元年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都相国寺(しょうこくじ)常徳院の英叟(えいそう)につき,曇仲道芳(どんちゅう-どうほう)の三十三回忌を機に曇仲の法をつぐ。応仁(おうにん)の乱で近江(おうみ)にうつり,豪族小倉実澄(さねずみ)とまじわる。のち相国寺,南禅寺の住持。五山文学の中期を代表する文筆僧のひとり。明応2年11月17日死去。65歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。号は小補,補庵。著作に「補庵集」「小補東遊集」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうせんけいざん【横川景三】

1429‐93(永享1‐明応2)
戦国初期の五山文学の禅僧(臨済宗)。万年村僧,小補,補庵の別号も用いる。播磨(兵庫県)に生まれ,4歳で京都相国寺常徳院の英叟につく。1441年(嘉吉1)英叟の法兄の竜淵に参じ,同年3月,曇仲道芳の三十三回忌に墓塔を拝して弟子となる。文学僧曇仲の法系を存続させるはからいであった。67年(応仁1)8月には桃源瑞仙とともに応仁の乱を避けて近江(滋賀県)市村滋雲寺や永源寺竜門庵に居住した。近江ではのちに識廬庵を建てた小倉実澄や野洲の永原吉重らと親交をもった。

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大辞林 第三版の解説

おうせんけいさん【横川景三】

1429~1493) 室町中期の臨済宗の僧。播磨の人。相国寺座主。五山文学の代表者の一人。詩集「補庵京華集」「小補東遊集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

横川景三
おうせんけいさん

[生]永享1(1429).播磨
[没]明応2(1493).11.17. 京都
室町時代後期の臨済宗の詩僧。五山文学者の一人。安国寺の龍淵に師事し,応仁の乱で近江の飯高山に移って詩文を講じ,のちに足利義政の招きで等持院住持となり,相国寺,南禅寺に住んで将軍の崇拝を受けた。主著『京華 (けいか) 集』 (13巻) ,『東遊集』 (3巻) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

横川景三
おうせんけいさん
(1429―1493)

室町中期の禅僧。号を小補、補庵(ほあん)という。播磨(はりま)(兵庫県)の人。4歳で相国寺(しょうこくじ)常徳院に入り、13歳のとき曇仲道芳(どんちゅうどうほう)(1367―1409)の法を嗣(つ)いだ。曇仲は名利に執せず文筆に優れた僧であった。横川もまたこの態度で一生を貫いた。38歳のとき応仁(おうにん)の乱を避けて近江(おうみ)に移ったが、このころにはすでに詩文僧として名が高まっていた。44歳で帰京後は足利義政(あしかがよしまさ)の信頼を受け、相国寺鹿苑院塔主(ろくおんいんたっす)の位にまでつき僧録をつかさどることもあった。明応(めいおう)2年65歳で没するまで詠作した詩文の数は膨大で、『小補集』『補庵集』『小補東遊集』『補庵京華(けいか)集』等がある。[中本 環]

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