内中町(読み)うちなかまち

日本歴史地名大系 「内中町」の解説

内中町
うちなかまち

[現在地名]長崎市桜町さくらまち上町うわまち

桜町の北、岩原いわはら川左岸にある長崎うち町の一ヵ町で、陸手に属した。町並は東西に形成され、北は小川おがわ町に接する。小川町と桜町の間にあたるので中町と称され、のち外町の中町(東中町)と区別するために内町の中町の意で内中町と改めたという。文禄元年(一五九二)豊臣秀吉直轄領となり、地子銀が免除された。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付に「中町」「なか町」の「かうづる」「まるせいろ」「るしや」「丸こす」「あかた」が署名している。寛永一三年(一六三六)の投銀証文(「郷談随筆」鍋島家文書)では「内中町」の平三郎唐人の薛申公に八割の利率で銀一〇両を貸している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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