日本歴史地名大系 「中町」の解説
中町
なかまち
須賀川宿四ヵ町の一で、
中町
なかまち
中町
なかまち
三春城下六町の一つ中町を中心とする行政地区。平姓三春田村氏が
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
あしなかまち
中町
なかまち
明暦の切絵図に家数二〇、間数一三三間四尺八寸五分、天和の切絵図に家数一九とあり、うち医師五軒。「知新集」に町間数二丁三二間五歩九厘五毛、竈数八二(本竈一六・借竈六六)、人数三二四(男一七五・女一四九)、うち桶屋・指物師各三人、本道医・研職・大工・畳刺・塗物細工・傘細工・綿打各二人、陰陽師・鑓細工・鉄砲台師・柄巻師・紺屋・仕立物師・筆結各一人をあげる。
中町
なかちよう
- 兵庫県:多可郡
- 中町
現多可郡の中央部、加古川の支流
中町
なかまち
寛政二年(一七九〇)高山彦九郎は「北行日記」に「本庄町名主細谷与惣左衛門所に着て」と記し、享和二年(一八〇二)日本海沿岸を南下しながら測量した伊能忠敬もその日記に「本庄城下町中町え八ツ後ニ着、止宿、名主細谷弥治右衛門、新宅素建なり、然共諸事丁寧なり」と名主細矢家に寄宿し、丁重な扱いを受けている。
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
城の大手、
中町
なかつじちよう
中町
なかまち
北六町のうちの一町で、東は
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
天正一八年(一五九〇)城主田中吉政が三の丸を増築すると、昔からそこに住む民家数十軒を、中町をはじめ
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
松本城下町の親町三町の一。
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかのちよう
中町
なかまち
中町
なかのちよう
中町
なかまち
中町
なかまち
中町
なかまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報