日本歴史地名大系 「内竪村」の解説 内竪村うちたてむら 宮崎県:えびの市内竪村[現在地名]えびの市内竪昌明寺(しようみようじ)村の西、川内(せんだい)川の北側にある。北は滝下(たきした)山など肥後境の山岳部に連なり、白(しら)川・稲荷(いなり)川が南東へ流下して川内川に入る。江戸時代には吉田(よしだ)郷に属した。古くは内立馬場(うちたてばば)村と上下田(じようげた)村の二ヵ村であったとされる(三州御治世要覧)。寛文四年(一六六四)の諸県郡村高辻帳では内竪馬場村は表高四二八石余、上下田村は表高三五五石余。日向国覚書では上下田村に「般若寺越之村也」の注記がある。「三州御治世要覧」では内立村とあり、内高八六八石余。「薩藩政要録」では内竪村。幕府提出の郷帳類では内竪馬場村・上下田村の二村、鹿児島藩領では内竪村一村として扱われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by