内藤新宿北町(読み)ないとうしんじゆくきたちよう

日本歴史地名大系 「内藤新宿北町」の解説

内藤新宿北町
ないとうしんじゆくきたちよう

[現在地名]新宿区新宿二丁目

明治二年(一八六九)の品川県編入に際し、正受しようじゆ院・成覚じようかく寺・太宗たいそう寺の各境内、明治初年に永住ながずみ町となった四谷太宗寺よつやたいそうじ門前のうち甲州道中に面する地を除いた町屋を併せて成立。浄土宗正受院は文禄三年(一五九四)起立と伝えられ、古跡拝領地九二八坪。境内の奪衣婆像への信仰が嘉永二年(一八四九)に大流行し、多数の錦絵が刷られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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