錦絵(読み)ニシキエ

デジタル大辞泉 「錦絵」の意味・読み・例文・類語

にしき‐え〔‐ヱ〕【錦絵】

多色刷り浮世絵版画。明和2年(1765)絵師鈴木春信を中心に彫り師やり師が協力して創始した、錦のように精緻せいちで美しい版画浮世絵代名詞ともなった。江戸絵あずま錦絵。→浮世絵
[類語]日本画大和絵浮世絵鳥羽絵俳画

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精選版 日本国語大辞典 「錦絵」の意味・読み・例文・類語

にしき‐え‥ヱ【錦絵】

  1. 〘 名詞 〙 浮世絵の多色刷り木版画の総称。精巧な技術により多くの色を正確に刷り分けて、錦のようないろどりを示す。江戸時代、明和二年(一七六五)絵暦(えごよみ)の流行を契機として、絵師鈴木春信が、俳諧師・彫師・摺師の協力を得て創始、江戸を中心として発展した。浮世絵版画における技巧発達の最終段階を示す。勝川春章・鳥居清長・喜多川歌麿・東洲斎写楽・歌川豊国葛飾北斎歌川安藤)広重など、明和期以後浮世絵師はほとんどこれによった。江戸絵。東(あずま)錦絵。
    1. [初出の実例]「この比は今のにしき絵の番(つが)ひ絵、覆ひもせずあちこちの店に顕し有る」(出典談義本・虚実馬鹿語(1771)二)

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百科事典マイペディア 「錦絵」の意味・わかりやすい解説

錦絵【にしきえ】

多色摺の浮世絵版画。1765年鈴木春信が中心となって,紅摺絵(べにずりえ)の技術を基礎にして多色摺版画を開発,その美しさから錦絵と呼ばれ,浮世絵隆盛の因となった。なお享保ごろ京都で流行した金襴(きんらん)などの小片をはりまぜて作った押絵も錦絵という。
→関連項目伊予柾紙奥村政信極印杉原紙橋口五葉平塚運一紅嫌い水野年方

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「錦絵」の意味・わかりやすい解説

錦絵
にしきえ

浮世絵版画の版様式。1765年(明和2)に江戸で大流行した絵暦(えごよみ)交換会を機に飛躍的に進歩した多色摺(ずり)木版画をさし、初期の三色程度の多色摺は紅摺絵(べにずりえ)とよんで区別する。錦のように美麗な絵の意味であるが、当時おもに上方(かみがた)で押し絵を錦絵とよんでいたことから、それと区別し対抗する意図で東(あずま)(吾妻)錦絵と命名されたらしい。まもなく単に錦絵ともよばれるようになった。錦絵は、下絵を描く絵師と、彫師、摺師、版元、さらに好事家(こうずか)の協力による所産であるが、絵師では鈴木春信(はるのぶ)がもっとも深く関与し貢献したため、彼を創始者とすることもある。以後、その優れた色彩美と表現力によって急速に発展普及し、1780年(安永9)ごろ以降は錦絵以外の浮世絵版画はほとんど制作されなくなり、江戸後期から明治期には、浮世絵版画と錦絵はほぼ同意語となった。技法上も種々の改良やくふうが加えられて、19世紀に入ると数十色もの色版を使ったものも現れて、幕末にはその極限に達した。

[浅野秀剛]

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改訂新版 世界大百科事典 「錦絵」の意味・わかりやすい解説

錦絵 (にしきえ)

浮世絵の多色摺り木版画の総称。1765年(明和2)俳諧を趣味とする江戸の趣味人の間で絵暦の競作が流行,これに参加した浮世絵師鈴木春信(1725-70)が彫師,摺師と協力して技術を開発,〈吾妻錦絵〉と名づけて商品化した。版木に刻み付けた見当(けんとう)を合わせて,多くの色を正確に摺り分け,錦のように華やかで美しいいろどりが加えられた。浮世絵木版画の加彩法としてはもっとも発達した最終段階のもので,〈江戸絵〉とも呼ばれた。
浮世絵
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「錦絵」の意味・わかりやすい解説

錦絵
にしきえ

浮世絵用語。明和2 (1765) 年頃,鈴木春信が狂歌師巨川 (きょせん) ,莎鶏 (しゃけい) らの助言や彫師,摺師の助力を得て創始した華麗な木版の多色摺の浮世絵版画。春信は三原色を主調に,中間色や複雑な色までも自由に用いる多色摺に成功。また用紙を上質の奉書に切替え,歌舞伎や遊里だけを扱っていた主題を広げて,江戸評判の美女や婦女子の日常生活や恋愛などを描いた。当時の人々は錦の美しさにたとえて東 (あずま) 錦絵と呼んだ。以後浮世絵版画はすべて錦絵の名で呼ばれるとともに,版画技法は最後の発展段階に到達し,鳥居清長,歌麿,写楽,歌川豊国,北斎,広重など,すぐれた絵師と彫師,摺師の協力で,主題と技法の幅を広げ,広く世に迎えられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「錦絵」の解説

錦絵
にしきえ

数色から十数色までを重ねた多色摺浮世絵版画。錦のように美麗な色合いが名の由来。1765年(明和2)江戸の趣味人の間で絵暦とよばれる私製版画の制作が流行。鈴木春信を中心としたグループのなかで,多色摺の技術が飛躍的に進歩して錦絵が完成した。当時は吾妻錦絵(あずまにしきえ)ともよばれた。浮世絵版画の到達した最終的な段階であり,以後,浮世絵版画の中心的な技法として明治初期まで及んだ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「錦絵」の解説

錦絵
にしきえ

多色摺 (ずり) の浮世絵版画
初め丹絵 (たんえ) という墨摺に筆彩色した色彩版画が現れ(元禄〜正徳ころ),色を多くした紅絵に進んだが,その後紅摺絵という色摺版画が考案された。明和(1764〜72)のころ錦絵という華麗な多色摺が完成し,浮世絵に画期を与えた。鈴木春信は錦絵の効果を利用して他の追随を許さない独特の版画を描いた。

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普及版 字通 「錦絵」の読み・字形・画数・意味

【錦絵】きんかい

錦のあや絹。

字通「錦」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の錦絵の言及

【浮世絵】より

…有名人の死没の直後にその肖像を描き,生前の事跡や辞世の和歌や句を記して追悼の意を表した死絵(しにえ),安政2年(1855)の大地震の直後に表れた鯰絵(なまずえ),あるいは開港後の新開地横浜の様子を伝える横浜絵などは,そうしたニュース性を強く織り込んだ浮世絵版画の例である。明治年間に入って一時期盛行した彩色摺の絵入り新聞すなわち〈錦絵新聞〉なども,浮世絵が本来備えていた時事報道の機能を,時代の要請に応えて一段と強化し,発揮させたものにほかならなかった。
【形式】
 浮世絵の主たる表現形式は終始木版画であり,肉筆画は従の関係にあった。…

【江戸時代美術】より


[美術の大衆化]
 同じころ江戸では,師宣にはじまる浮世絵が,墨摺りの手法を《芥子園画伝》の挿図に見るような中国の色刷り手法をヒントに彩色版画の方向へと発展させる。それは手彩色による丹絵(たんえ)から漆絵を経て紅摺(べにずり)絵へと進み,明和年間(1764‐72)鈴木春信によって錦絵が考案された。優美な王朝やまと絵の世界を江戸市民の日常生活の中に見立てた春信の錦絵によって浮世絵版画の芸術性は高まり,江戸浮世絵界は天明から寛政(1781‐1801)にかけて,鳥居清長,喜多川歌麿,東洲斎写楽らを輩出して黄金時代を迎えた。…

【報道写真】より

… 画像による伝達と言語による伝達は互いに機能特性が異なり,そのため古くから言語を補う意味で,新聞などの印刷媒体には挿絵(イラストレーション)が利用されていた。1872年(明治5)に発刊した日刊紙《東京日日新聞》でも錦絵が使われていたという。この時点ではすでに写真は実用化していたのだから,その新聞への利用も当然考えられることであったが,写真が大量印刷で使用されるようになるのはずっと遅れて,20世紀初頭になってからである。…

※「錦絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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