内藤春治(読み)ナイトウ ハルジ

20世紀日本人名事典 「内藤春治」の解説

内藤 春治
ナイトウ ハルジ

大正・昭和期の鋳金家 東京芸術大学名誉教授



生年
明治28(1895)年4月1日

没年
昭和54(1979)年5月23日

出生地
岩手県盛岡市

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)鋳造科〔大正14年〕卒,東京美術学校研究科〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝展特選(第10回)〔昭和4年〕「花挿のある照明装置」,日本芸術院賞〔昭和29年〕「青銅花瓶」

経歴
有坂安太郎、松橋宗明に師事。大正3年南部鋳金研究所に入所。8年上京し、香取秀真に師事。14年法壺会(昭和3年凹凸に改称)を結成、昭和7年解散。10年実在工芸美術会結成に参加。新文展、日展に出品。19年東京美術学校教授、37年東京芸術大学名誉教授。日展参与、日本鋳金作家協会副会長もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤春治」の解説

内藤春治 ないとう-はるじ

1895-1979 大正-昭和時代の鋳金家。
明治28年4月1日生まれ。釜師(かまし)有坂安太郎に師事する。大正8年上京して香取秀真(ほつま)にまなぶ。昭和元年高村豊周(とよちか),豊田勝秋らとグループ无型(むけい)」を,10年実在工芸美術会を結成。19年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。30年「青銅花瓶」で芸術院賞。昭和54年5月23日死去。84歳。岩手県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の内藤春治の言及

【明治・大正時代美術】より

…この点で彼らの主張は,帝展(かつての文展)に工芸の出品を認めさせる運動の原動力ともなっていった。26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。…

※「内藤春治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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