茶の湯に用いる釜を製作する鋳物師(いもじ)。釜大工ともいう。古くは釜作専業ではなかったが,室町時代以降,茶の湯の流行に伴い,京都三条釜座がおこると,釜作を専業とする鋳物師が輩出し,釜屋と称し,茶人の好みに応じた釜を鋳造するようになった。足利将軍家においては御釜師の名称も用いられたといわれるが,釜の発祥地とされる筑前芦屋や下野(しもつけ)天命では金屋を称しており,いわゆる鍋・釜や梵鐘,釣灯籠なども製作していたが,金屋大工が一般に釜師と称されるようになったのは,京釜が隆盛した安土桃山時代以後のことと考えられる。1700年(元禄13)に西村道冶が著した《釜師之由緒》には〈一,紹鷗時代京都天下一西村道仁,名越善正也。道仁は信長公御釜師…(略)…善正は家康公の御釜師浄味弥右衛門の元祖也〉とある。ほかに古田織部御釜師大西家,千利休御釜師辻与次郎などが著名である。西村家は京釜師として,名越家と大西家は京と江戸に分かれて栄えた。
執筆者:大角 幸枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鉄の鋳物の茶釜(ちゃがま)(茶の湯釜)を生産する職人。茶釜師ともいう。中世の14世紀には京三条釜座(かまんざ)、天明(てんみょう)(栃木県佐野市)、芦屋(あしや)(福岡県芦屋町)が主生産地であったが、15世紀から茶の湯の盛行により需要が増加し、釜座の茶釜の鋳物師(いもじ)をとくに釜師といった。近世の17世紀では江戸や盛岡、仙台、山形、金沢、桑名などでも生産された。居職(いじょく)で、工具は鋳物師と同じである。釜屋は釜師のことでもあったが、茶釜などを釜師から仕入れて販売する商人をさすことが多かった。近代からは需要は少なくなり、盛岡などでは実用的な鉄瓶とともに製作されているが、かつての釜師は少数の美術的な作風の工芸作家となった。
[遠藤元男]
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