香取秀真(読み)カトリホツマ

デジタル大辞泉 「香取秀真」の意味・読み・例文・類語

かとり‐ほつま【香取秀真】

[1874~1954]鋳金家・歌人千葉の生まれ。本名、秀治郎。古典的な格調時代感覚を備えた作品制作。古代鋳金の研究を進め、「日本金工史」などを著した。子規門下の歌人としても知られ、歌集「天之真榊」がある。文化勲章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「香取秀真」の意味・読み・例文・類語

かとり‐ほずま【香取秀真】

  1. 鋳金家、歌人。本名、秀治郎。千葉県に生まれる。東京美術学校卒。同校教授帝室技芸員を務め、のち芸術院会員となる。鋳金作品は古典的な格調をもつ。また、東洋金工史の研究家、「アララギ」の歌人としても知られる。文化勲章受章。著に「日本金工史」、歌集「天之真榊」など。明治七~昭和二九年(一八七四‐一九五四

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20世紀日本人名事典 「香取秀真」の解説

香取 秀真
カトリ ホツマ

明治〜昭和期の鋳金家,金工史家,歌人 東京美術学校教授。



生年
明治7年1月1日(1874年)

没年
昭和29(1954)年1月31日

出生地
千葉県印旛郡船穂村(現・印西市)

本名
香取 秀治郎

別名
別号=六斎,梅花翁

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)鋳金科〔明治30年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本美術協会一等賞〔明治30年〕,パリ大博覧会銀賞牌,文化勲章〔昭和28年〕

経歴
宗像神社の神主の子に生まれる。明治36年から昭和16年まで東京美校(8年教授)で鋳金史、彫金史を講ずる。この間、明治40年東京彫金会を創立し幹事となったほか、日本美術協会、東京彫工会などの幹事もつとめ、自ら多くの作品を発表した。昭和2年帝展審査員、4年帝国美術院会員、9年には帝室技芸員となった。28年文化勲章受章。また、アララギ派歌人としても知られ、大八洲学校時代「うた」を岡麓らと創刊し、また「心の花」会員となる。明治32年根岸短歌会に参加。主な学術書に「日本鋳工史稿」「日本金工史」「金工史叢談」「茶の湯釜」、歌集に「天之真榊」「還暦以後」「ふいで祭」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「香取秀真」の意味・わかりやすい解説

香取秀真(かとりほつま)
かとりほつま
(1874―1954)

鋳金工家、金工史家、歌人。明治7年1月1日、千葉県印旛(いんば)郡船穂村(現印西(いんざい)市)に生まれる。本名秀治郎。1897年(明治30)東京美術学校鋳金科を卒業し、さらに99年同校の研究科に進み、鋳金技術を研究するとともに、正岡子規(しき)について和歌を学んだ。1903年(明治36)から母校で鋳金史の講義を行う一方、08年に東京鋳金会を設立、ついで25年(大正14)には工芸済々会をおこして金工芸術の向上に尽くした。27年(昭和2)帝展の第四部(工芸)の創設に参画してその委員、29年には帝国美術院会員、34年には帝室技芸員、37年には帝国芸術院会員になり、また33年から43年まで東京美術学校教授を務めるなど、金工界だけでなく工芸界の中心的存在として広く活躍し、53年(昭和28)に文化勲章を受けた。昭和29年1月31日没。作品は香炉花瓶、釜(かま)、梵鐘(ぼんしょう)、置物など古典的題材をとりながら、表現には近代的感覚を盛り込んだ重厚で格調の高いものが多い。また金工史家としては『日本金工史』『金工史談』などをはじめとして著述も多く、金工史研究の草分けとして大きな業績を残している。歌集に『天之真榊(あまのまさかき)』(1935)がある。

[原田一敏]


香取秀真(かとりほずま)
かとりほずま

香取秀真

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改訂新版 世界大百科事典 「香取秀真」の意味・わかりやすい解説

香取秀真 (かとりほつま)
生没年:1874-1954(明治7-昭和29)

鋳金工芸家,歌人。本名秀治郎。千葉県出身。1897年東京美術学校鋳金科を卒業。大島如雲,岡崎雪声に学んだ。1900年パリ大博覧会に出品,銀賞牌を受ける。08年同志と鋳金会を創立。帝室技芸員,芸術院会員を歴任し,38年東京美術学校教授。53年文化勲章受章。日本,中国の古典的工芸をきわめ,かつ時代感覚の表出につとめ,近代鋳金界の第一人者となる。金工史家としても,《日本金工史》《金工史談》などのすぐれた著作があり,またアララギ派の歌人としても有名。歌集に《天之真榊(あまのまさかき)》などがある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「香取秀真」の意味・わかりやすい解説

香取秀真
かとりほつま

[生]1874.1.1. 千葉
[没]1954.1.31. 東京
鋳金家,歌人。本名,秀治郎。 1897年東京美術学校鋳金科卒業。同校研究科で鋳金技術を研究,1903年から母校で鋳金史を教えた。 29年帝国美術院会員,34年帝室技芸員。香炉,茶釜など,重厚な伝統的技術に鋭い近代的感覚を盛込んだ格調高い作品がある。東京鋳金会を設立 (1908) ,日本の新しい金工芸術の発展に尽し,国宝保存会委員もつとめた。根岸短歌会創立以来のアララギ派の歌人でもある。主著『日本鋳工史稿』『日本金工史』,歌集『還暦以後』『ふいご祭』など。 53年文化勲章受章。

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百科事典マイペディア 「香取秀真」の意味・わかりやすい解説

香取秀真【かとりほつま】

金工家。本名秀次郎。千葉県生れ。東京美術学校卒。母校の教授,芸術院会員等を歴任,工芸界の重鎮となる。金工史家としても第一人者で,《日本金工史》《茶の湯釜》等著書も多く,アララギ派歌人としても有名。1953年文化勲章。
→関連項目根岸短歌会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香取秀真」の解説

香取秀真 かとり-ほつま

1874-1954 明治-昭和時代の鋳金家,歌人。
明治7年1月1日生まれ。大島如雲,岡崎雪声にまなぶ。昭和8年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授となる。東京鋳金会,帝展工芸部を創設。12年芸術院会員。28年文化勲章。アララギ派の歌人としても知られる。昭和29年1月31日死去。80歳。千葉県出身。本名は秀治郎。別号に六斎,梅花亭。著作に「日本金工史」など。

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367日誕生日大事典 「香取秀真」の解説

香取 秀真 (かとり ほずま)

生年月日:1874年1月1日
明治時代-昭和時代の鋳金家;金工史家;歌人。東京美術学校教授
1954年没

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世界大百科事典(旧版)内の香取秀真の言及

【根岸短歌会】より

…和歌の革新にのり出した正岡子規を中心に東京上根岸の子規庵で始められた歌会。1899年(明治32)3月14日に香取秀真(かとりほずま),岡麓(ふもと)らが集まったのを第1回とし,以後回を重ねるごとに活発となり,伊藤左千夫,長塚節らが参加した1900年には最盛期を迎えた。詠草は新聞《日本》に発表され,ときには《心の花》などの諸雑誌にも及んだ。…

※「香取秀真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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