内部城跡
うちべじようあと
[現在地名]吉田町小山
可愛川の支流で北流する砂田川西側、南から北へ突出した丘陵上にあり、北西眼下には可愛川を望む。小手先城・琴崎城とも称し、毛利元春の居城。「高田郡中聞書」に「こと崎城山、高三十間、横二十五間、此城主毛利右馬殿知行不申知候」と記す。丘陵南を大きな空堀で区切り、九壇の長い郭を並べる。直線連郭式の山城である。
南北朝期、毛利氏は一族が両派に分れて争ったが、暦応四年(一三四一)毛利時親が没すると、その曾孫元春は一九歳で所領を相続、郡山城に拠り「郡山殿」とよばれ足利尊氏に味方した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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