内門村(読み)うちかどむら

日本歴史地名大系 「内門村」の解説

内門村
うちかどむら

[現在地名]境町内門

山崎やまざき村の南に所在。西部の内門本田うちかどほんでん東部の内門新田からなり、内門本田の北の一部と東・西は鵠戸くぐいど(現在は水田)の枝ヤト。村の南部に平地林が少しある。落民士帳(忍田家文書)には戦国期の結城氏朝の家臣渡辺掃部祐の名がみえ、当村に帰農している。

江戸時代は下総関宿藩領で、「寛文朱印留」に村名がみえる。猿島郡上郷に属した。寛文一一年(一六七一)の関宿領茂右衛門御代官場石高覚帳(松本好司文書)では本高一七七・三九九石のほかに九〇・五五一石があり、合計二六七・九五石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む