出羽ケ嶽文治郎(読み)デワガタケ ブンジロウ

20世紀日本人名事典 「出羽ケ嶽文治郎」の解説

出羽ケ嶽 文治郎
デワガタケ ブンジロウ

大正・昭和期の力士(関脇)



生年
明治35(1902)年12月20日

没年
昭和25(1950)年6月9日

出生地
山形県上山市永野

本名
斎藤 文治郎(サイトウ ブンジロウ)

学歴〔年〕
小学校卒

経歴
好角家の青山脳病院院長、斎藤紀一に連れられて上京、相撲取りとなり、斎藤家の養子に。小学生時代から体は大きかったが、おとなしく、東京の子供たちからは「田舎っぺ」といじめられた。しかし角界に入ってからは仲間から「文ちゃん」と親しまれる。また身長203センチ、体重195キロという巨体に物を言わせたさば折りや浴びせ倒しを武器に関脇まで昇進し、人気を誇った。だが昭和8年に腰を痛めてからは転落一途で6年後には廃業、その時の地位は三段目だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「出羽ケ嶽文治郎」の解説

出羽ケ嶽 文治郎 (でわがたけ ぶんじろう)

生年月日:1902年12月20日
大正時代;昭和時代の力士
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android