斎藤紀一(読み)サイトウ キイチ

20世紀日本人名事典 「斎藤紀一」の解説

斎藤 紀一
サイトウ キイチ

明治〜昭和期の医師 青山脳病院長;衆院議員(政友会)。



生年
文久1年8月1日(1861年)

没年
昭和3(1928)年11月17日

出生地
出羽村山郡堀田村(山形県)

旧姓(旧名)
斎藤 喜一郎

学歴〔年〕
山形県立医学校〔明治19年〕卒,東京帝大医科大学〔明治27年〕卒,ベルリン大学〔明治35年〕卒

経歴
明治22年医術開業試験に合格。24年東京に浅草医院を、27年神田泉町に東都病院を開業し院長となる。33年精神病学研究のため渡欧し、パリ大学に学び、のちベルリン大学に転じドクトル・メジチーネの学位を受ける。更に英国に渡り、36年帰国。37年東都病院を帝国脳病院と改名し院長に、更に青山脳病院を設立し院長に就任。脳神経・精神病研究のため再度外遊し3年間に渡って欧米各国の大学や病院を調査視察する。また東京医師会代議員、東京医会常議員となり医師界に貢献した。大正6年衆院議員(政友会)に当選、1期務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤紀一」の解説

斎藤紀一 さいとう-きいち

1861-1928 明治-昭和時代前期の神経・精神科医
文久元年8月1日生まれ。斎藤茂吉養父。明治24年東京に浅草医院,27年東都病院を開業。33年渡欧し,ドクトル-メジチーネの学位をうける。36年帰国。東都病院を帝国脳病院と改名。さらに青山脳病院を設立。大正6年衆議院議員(政友会)。昭和3年11月17日死去。68歳。出羽(でわ)村山郡(山形県)出身。帝国大学卒。名ははじめ喜一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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