斎藤紀一(読み)さいとう きいち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤紀一」の解説

斎藤紀一 さいとう-きいち

1861-1928 明治-昭和時代前期の神経精神科医
文久元年8月1日生まれ。斎藤茂吉養父。明治24年東京に浅草医院,27年東都病院を開業。33年渡欧し,ドクトル-メジチーネの学位をうける。36年帰国。東都病院を帝国脳病院と改名。さらに青山脳病院設立。大正6年衆議院議員(政友会)。昭和3年11月17日死去。68歳。出羽(でわ)村山郡(山形県)出身。帝国大学卒。名ははじめ喜一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android